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書評や妄想、ショートショート、エッセイなどを書きたいです。基本的にフィクションです。

2016年の振り返りと新年の抱負

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あまり個人的なことを公にする趣味はないのだが、このところ自分の発信のありかたに思うところがあり、来年はもっと自分を晒していこうと自戒の念を込めて、個人的なことでしかない「1年の振り返り」を綴ろうと思う。


発信のありかたというと大げさに聞こえるかもしれない。自分の性格とも言おうか。
基本的に僕は自分にあまり自信がなく、つまるところ自分の文章を人様の眼前にさらすのには抵抗があるタイプだ。


「自分に自信を持ちましょう」というのは簡単だが、どうにも気恥ずかしさや気後れが先行してしまっていた。


そんな僕が2016年の大きな発見をひとつあげるとしたら、「自信」というものを自分なりに咀嚼できたことなのかもしれない。


自信というのは、恥ずかしい部分をさらけだしても、まぁいいかと思える強さなんだと思えるようになったのだ。
この発想の転換によって、これまで輪郭のつかめないおぼろげな概念でしかなかった「自信」の正体に正面から向き合うことができた。


前置きが長くなってしまったが、2017年は「恥ずかしい部分をさらけだしても、まあいいか」と思いながら過ごしていきたいと思う。


そんなきっかけをつかめた今年の振り返りまとめを、それぞれ印象に残った3冊の本とともに。

 

1月〜3月

印象に残った本の抜粋

やっていたこと

この時期は『おとなの教養』に触発されて、リベラルアーツを自分なりに学んでみようと思っていた。

宗教、宇宙、人類の旅路、人間と病気、経済学、歴史、日本と日本人の7分野に関する本を毎月読もうとする試みだ。


結局、1月だけで終わってしまったが。


仕事の面では、ゲームアプリの北米マーケティングをやっていたので、カスタマージャーニーマップを整理しようとしたり、ユーザーのアクセスポイントとなるチャンネルの一覧を洗い出したり、メディアプランつくったりと色々と試行錯誤していた時期だった。

北米のクリエイティブエージェンシーとクリエイティブに関する調整や交渉を喧々諤々とおこなっていたのもこの時期。


この時期に宣伝会議のカスタマージャーニーマップのワークショップに参加して、尊敬する方とも出会えた。


2月にNYに出張にいって凍え死にそうになったのは良い思い出。


プライベートでは仙台へ旅行に行き、ここでも凍えていた。

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4月〜6月

印象に残った本の抜粋

  • 『たった一人の熱狂』 見城 徹
  • 『A New Brand World: Eight Principles for Achieving Brand Leadership in the Twenty-First Century』 Scott Bedbury
  • ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学』 入山 章栄

やっていたこと

映画『SpotLight』にやたらと感動した。身につまされたのは出版する雑誌が印刷されて出荷される様子を、記者たちが車の中からじっと見つめているシーン。あぁ、そこまでやるのか、と感心したのだ。神は細部に宿るというが、自分が担った仕事を最後の最後まで見届けて、ディテールにこだわってこそ優れた成果が生まれるのだと、胸が痛くなった。


仕事では頑張ってRequest For Proposalの資料をつくったり、素晴らしいパートナー企業と出会えたり、NYとLAに出張したりとと充実した時期だった。

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プライベートでは那須高原、熱海、江ノ島へ旅行をした。振り返ると月に1回のペースで旅行に行っていたことになる。

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7月〜9月

印象に残った本の抜粋

  • 『最強の働き方;世界中の上司に怒られ、凄すぎる部下・同僚に学んだ77の教訓』 ムーギー・キム
  • 村上海賊の娘』 和田 竜
  • 『実戦マーケティング思考 「論理思考&イメージ発想」スキルを鍛える7つのツール』 佐藤 義典

やっていたこと

LAのクリエイティブエージェンシーが来日したのでそのアテンドをしたことが最も記憶に残る。ここで議論した(主にマーケティングに関する)内容というのはすごく勉強になったし、自分の資産にもなっている。


また、特別なご縁でAd:tech Tokyo International及びAd:tech Tokyoのパネルディスカッションに登壇させてもらった。いずれも貴重な経験で、広告・マーケティングに関する知識と経験が飛躍的に伸びた時期である。


謎のジュースを自分で作ろうとしていた時期でもあった。食品衛生責任者の資格も取り、真剣に取り組んでいた。


プライベートでは軽井沢へ旅行にいき、親友の結婚式で北海道へ飛び、銀座の鰤門(しもん)で食べた寿司に心の底から感動した。

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10月〜12月

印象に残った本の抜粋

  • 『日本スターバックス物語──はじめて明かされる個性派集団の挑戦』 梅本龍夫
  • スターバックス成功物語』 ハワード シュルツ
  • 『女のいない男たち』 村上 春樹

やっていたこと

最も大きな出来事としては、北米のマーケティングの支援業務に区切りをつけて、自分たちで立ち上げた会社に戻ってきたことだろう。最後の出張としてLAに飛び、パートナー企業に挨拶をしたときはなかなか感慨深いものがあった。


この時期はどこか現在進行形的なところがあるので、なにかをやった、というよりは、やっているといった印象が強い。人事的な働きをしようと試みたり、メディアを成長させようとしたり、まだ志半ばだ。会社で草津に旅行にいったりもした。


プライベートでは四国へ旅行にいった。

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こうして振り返ってみると、月に1度のペースで遠出していることが分かる。充実していて良いことではあるが、どうりでお金が貯まらないはずだ。来年は海外にでもいこうかしら。


さて、2017年はどのような年にしようか。


基本的な姿勢は「恥ずかしい部分をさらけだしてもまぁいいか」と思うこと。また、その精神を保ちながら意欲的に発信をしていきたいと思う。


同時に、コミュニケーション能力も高めていきたいと思う。今年はどこか人との会話が億劫に感じられるケースが多かったので、考え方を変えて、その人の面白い部分を引き出せるような会話を心がけられるように気をつけたい。

 

まとめると、2016年は割と充実した年だったということと、2017年は発信力とコミュニケーション能力を磨いていきたいということ。


来年もどうぞよろしくお願いします。

聴く能力を高める5つの方法

聴くという能力が失われている。


この主張には個人的に思い当たる節が多々ある。僕自身はもちろん、周囲の態度も含めて。
聴く — すなわち、受動的に漫然と聞くのではなく、積極的に意識して耳を傾ける。この態度、ひいては能力が失われているという主張は、多くの人々に共有される問題意識であるように思う。


そんなことを漠然と考えていた折に、たまたま見つけた『5 ways to listen better』と題されたTEDの動画が興味深かったので、内容を掻い摘んで紹介したい。


5 Ways to Listen Better

https://www.ted.com/talks/julian_treasure_5_ways_to_listen_better#t-34418

 

端的に要約すると、意識的に聴こうと耳を傾けるその姿勢によってこそ、物理的にも精神的にも様々な人やモノと深く繋がれるというのがこの動画のメインメッセージである。
聴き上手になるためにはどうすれば良いのか — 解となる方法論を求めて見始めた動画だったが、そんな小手先のテクニックではなく、まずは姿勢を正しましょうと、自省を促されたように感じた。


スピーカーのJulian Treasureは音を専門に研究する”Sound Consultant”。
彼のプレゼンは「聴くという能力が失われている」という主張から始まる。曰く、我々は会話の60%を聞くという行為に充てるのだが、実のところ頭に残るのは聞いたうちの25%しかないという。


Julianは聴く行為(Listening)を「音に意味を持たせる」と定義した上で、我々が普段、無意識におこなっているいくつかの心理的テクニックを紹介してくれた。
これらは情報を抽出するためのテクニックである。例えば雑多な喧騒の中でも自分の名前を呼ばれると思わず反応してしまったり、不協和音が聞こえると耳を背ける、など。
こういったテクニックは実際のところ我々が何に意識を向けているか教えてくれるという。そして、意識を向けているものに意識的になることは非常に重要で、意識こそが「聴く」行為にとって大事な「音」になる。


その聴く能力を我々は失っているという。なぜか。
一つの理由は、人類が記録する方法を発明したからであるとJulianは説く。ライティング、録音、録画。故に、正確に慎重に聴くという行為が消えてしまった、と。
また我々は日常的に、視覚的にも聴覚的にもあらゆるノイズに埋め尽くされているため、耳が疲れてしまっている面もあるらしい。


聴く能力が失われると、相手を本当の意味で理解しようとしなくなる。すると、世の中は平和からは程遠い世界になってしまうのではないか。
一方で、意識的に聴こうとすれば、話者と聞き手に深い理解が生まれる。理解が深まれば、つながりも当然深くなる。


聴く能力を高めるために、ここでは本題の5つの方法を抜粋する。これらを駆使すると意識的に聴く能力(以下、Conscious Listening)の質を高められるという。

 

  1. Silence (静寂)
    1日3分の静寂を設ける。
    これだけで耳はチューニングされ、リセットされる。完全な無音状態を作るのが難しければ、静かな環境でも構わない。

  2. Mixer (ミキサー)
    様々な音が混じり合う環境の中で、音を探してみる。
    例えばカフェの中。どのような音を探し出せるかトライしてみるのもいいだろう。単一の音源がいくつあるのか、聞き分けてみてほしい。
    湖でもいい — 鳴いている鳥を数えてみる。鳥はどこにいるか?湖のさざ波はどこでたっているのか?
    これはConsicous Listeningの質を高めてくれる効果的なエクササイズだ。

  3. Savoring (鑑賞)
    ありきたりな音を楽しむ。
    例えば乾燥機の音。注意深く聴けば、乾燥機の唸る音が一定のリズムを刻んでいることがわかる。Julianはこれを1, 2, 3のリズムと捉え、ワルツのようだと表現した。
    このように、身の回りにある音に意味を見出そうとしてみることがこのエクササイズの肝になる。隠れている聖歌隊を探すような行為なので、Julianは「Hidden Choir」と呼んでいた。

  4. Listening Position(聴く位置)
    視点(ポジション)を変えて話を聴く。
    聴き取る対象に合わせて一番適切な場所にポジションを移動させる。
    人が話を聞く時、無意識に様々なフィルターが働いている。文化、言語、価値観、信念、態度、期待、意図など様々だ。
    このフィルターを意識的に利用して、話を聞いてみようというのがこのエクササイズの趣旨だ。

  5. RASA
    最後は頭文字を取ったエクササイズで、コミュニケーションとリスニングに利用出来る。
    Receive:話者の話を注意深く聴くこと
    Appreciate:「うん」「わかった」と意思表明をすること
    Summarize:意思疎通において要約することは大切
    Ask:質問すること

聴く能力が失われるというのは、真剣な問題だとJulianは言う。先述の通り、Conscious Listeningは話し手と聞き手の深い理解につながるからだ。Conscious Listeningは相互理解を生む。相互理解なしでは、お互いがお互いに耳を貸さない、暴力的で恐ろしい世界になる危険がある。
反対に、Conscious Listeningの質を高めれば、相互理解から平和な世界になる可能性がある。
上記の5つのエクササイズはその世界をつくる手助けをしてくれるはずだし、個人的に広める価値があると思ったので、久しぶりにブログを書いてみた。

オスマン帝国の復興

『大世界史』を読んで

世界史を学ぶことで、これまで点在していた各国の今の動きが、線で結ばれた気がした。

『大世界史』の本の趣旨はまさにそこで、起きている事象の背景、つまり歴史を理解することで、現在の立ち位置を正しく把握する。そして、流れの中で事象を捉えられるので、今後の動きをある程度予測することができるのだ。

トルコ、イラン、ロシア、中国など、かつて帝国だった国々が、現代の時代において帝国復興の動きをみせていることがとても興味深かった。
特にオスマン帝国の復興を企む、トルコのエルドアン大統領。自身の権威主義的な動きへのクーデターを恐れ、すべての食べ物を毒味させているという。
個人的に非常に興味が湧いたので、オスマン帝国の歴史を調べてみることにした。
当然、周辺の中東世界やイスラムの歴史も重要なファクターになってくるので、併せて調べてみた。本記事では特定の箇所を深堀りすることはせず、全体の要素が、それぞれどうつながっているかに重きをおくようにしてみた。

なお、調べてみたものは大きく以下の4つ。
オスマン帝国の歴史
・今日のトルコの動き
イスラムの歴史(主にスンニ派とシーア派の違い、カリフ制度)
・中東のキープレイヤーたち

オスマン帝国の歴史

オスマン帝国を一言でいうと、1299年から1922年までの約600年間君臨した「イスラム教スンニ派の大帝国」。スンニ派については後述するが、重要なのは、「イスラム教の帝国」だったということ。
支配層は主にテュルク系の人々。テュルク=Turk、つまりTurkey(トルコ)である。領内にはアラブ人、エジプト人、ギリシア人、スラヴ人ユダヤ人など、多数の民族から形成される複合的な多民族国家だった。

オスマン=ベイという人物が建てたから、オスマン帝国。元々はアナトリアという小アジア(地中海と黒海に囲まれた半島)に現れたトルコ人の遊牧民族の軍事的な集団が、オスマン帝国の起源とされている。そしてこの遊牧民族長こそが、オスマン=ベイであった。
オスマン=ベイはビザンツ帝国の弱体化に乗じて、独立させたアナトリア内の小国家の領土を拡大していった。

17世紀の最大版図における支配地域は、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナハンガリーチェコスロヴァキアに至る広大な領域に及んだ。(http://goo.gl/maps/qOzm

この広大な支配地域こそがオスマン帝国の凄さのひとつ。東ローマ帝国などの東ヨーロッパキリスト教諸国、西アジア北アフリカイスラム教諸国を征服して地中海世界の過半を覆い尽くしていたのだ。

そして最も驚異的な点が、これだけ大きな領土の中に、いくつもの異なる宗教や民族が存在したにも関わらず、共存が成立していたということだ。オスマン帝国自体はイスラム教だったが、ギリシア正教アルメニア教会・ユダヤ教などの非ムスリムに対して改宗を強制しない、寛容な帝国だった。宗教的集団を基本的な統治の単位としていた。これをミレットというらしい。

また、皇帝を意味する「スルタン」が、イスラム教の最高指導者の称号である「カリフ」を兼ねるようになってしまったのも驚きだ。本来、カリフになれるのはアラブ人の「クライシュ族」という、預言者ムハンマドの一族だけ。ところがオスマン帝国をつくったトルコ人はその考えを覆し、スルタンがカリフを名乗った。これはアラブ諸国に衝撃を与えたが、それほどまでにオスマン帝国イスラム世界において支配的な存在であったことがうかがえる。

今日のトルコの動き

オスマン帝国が今日のトルコにどうつながっているか。近代トルコの父はムスタファ・ケマル・アタチュルクという人物。第一次世界大戦オスマン帝国が崩壊し、オスマン帝国軍の将校だったアタチュルクがスルタン制を廃止して、トルコ共和国を建国した。
トルコの近代は、一言でいえば「軍によって推し進められた近代化」。トルコの軍は、アタチュルクに心服して、「政教分離」の原則を絶対に守ろうとする。
現トルコ大統領のエルドアンは、この政教分離に反して、トルコのイスラム原理主義国家化を推し進めようとしている。彼のこの権威主義的な動きが、前述のクーデターへの恐れにつながっているのだ。なぜか。エルドアンには、カリフになろうとしている疑いがある。

カリフとは。シーア派、スンニ派とは

ムハンマドが亡くなった後、信者たちは集団の中で一番信頼できる人物を後継者として選んだ。これを「カリフ」という。カリフとは、預言者の代理人、という意味である。ちなみに、預言者とは未来を予言する人ではなく、神の言葉を預かった人、という意味で預言者と呼ばれいてる。

このカリフを巡って、シーア派とスンニ派は袂を分かった。2代目カリフ、3代目カリフと続いていく中で、「アリー」という人物をカリフに推す人たちが現れる。彼らは「ムハンマドの血筋を引く者こそがカリフにふさわしい」と考え、その後、アリーの息子たちに付き従うようになる。この人たちを、シーア派と呼ぶ。
一方、血筋に関係なく、コーランハディースムハンマドの言行録)に書いてあることや、イスラムの慣習(これをスンナという)を守っていくことが大事だ、と考える人たちは、別のカリフを選ぶ。この人たちがスンニ派と呼ばれる。
乱暴に言ってしまうと、「誰がイスラム共同体を率いていくのか」という問題に端を発して、シーア派とスンニ派は分裂した。シーア派は「カリフはムハンマドの子孫であるべき」と主張し、スンニ派は「話し合いによって選ばれたものがカリフとなるべき」と主張した。

シーア派とスンニ派だが、断食、巡礼、礼拝などの方法に違いはほとんどない。あるとすれば、シーア派では殉死したフセインを追悼するために、アーシュラーと呼ばれる宗教行事があったり、シーア派の聖人の墓を詣でるといった習慣が見られる程度だ。基本的にイスラム教徒でない限り、基本的に外見や行動からシーア派とスンニ派を区別することは難しい。

それでは、同じイスラム教徒なのに、なぜ今日においても、シーア派とスンニ派は対立しているのか。僕はキリスト教なので、てっきりプロテスタントカトリックの様な違いを想像していた。しかし、宗教的な対立だけでは、今日の争いの原因を説明できない。
イランにおいてのみ、シーア派が政権をとり国家を運営しているが、それ以外の地域(バーレーンアゼルバイジャン、シリア、レバノン、湾岸諸国、イエメン、アフガニスタンなど)で政権を握っているのはずっとスンニ派だった。
シーア派は政治的には少数派。経済的・政治的に劣勢に立たされている現状を打破するために、団結して反政府活動をおこなっているシーア派を、スンニ派政権は驚異とみている。

また、なぜかシーア派の人たちは石油資源が豊富なところに大勢いる。この石油のためにスンニ派とシーア派の対立が生まれやすくなっていることも関係していると言えるだろう。単純な宗教対立ではなく、「この土地は誰のものか」「この石油は誰のものか」という争いが、対立の本質を表している。

中東のキープレイヤーたち

アラビア語を使うスンニ派アラブ諸国
ペルシャ語を話すシーア派のイラン
アラビア語を話すシーア派のアラブ人
スンニ派だが、トルコ語を話し、民族意識も強いトルコ(大世界史 p.32)
つまり、
宗派「スンニ派 or シーア派」、
言語「アラビア語 or ペルシャ語 or トルコ語」、
国「アラブ諸国 or イラン or トルコ
のいずれかに分類される。

アラブの春」以降、アラブ世界は分裂と混乱が広がっている。これに乗じて、非アラブのイランとトルコが、帝国として自らの影響力を拡大するチャンスと思い始め、拡張主義的政策を取っている。
イランには「ペルシャ帝国」、トルコには「オスマン帝国」としての記憶がある。最近の核協議に代表されるようなイランの動きや、100以上ものモスクを建設して、露骨にイスラム化政策を進めるトルコを見ていると、冒頭にあったように、帝国復興の動きがあることが分かる。

行動科学で明らかになっているように、人の行動には動機が因果関係として存在している。動機があってこそ、人は動く。動機は思想や宗教、歴史、イデオロギーなど、様々だ。だからこそ、過去にどういった歴史があったかを勉強すると、現在のニュースが立体的に浮かび上がってくる。
それこそが本書を読んだ一番の収穫だった。

※出典
池上彰佐藤優(2015) 『大世界史 現代を生きぬく最強の教科書』 文春新書.
世界史の窓 「オスマン帝国」 <
http://www.y-history.net/appendix/wh0803-009_1.html#wh0803-009_0 > 2015年12月12日アクセス
academyhills(2012)「池上彰が紐解く、アラブの今と未来」<
http://www.academyhills.com/note/opinion/12091004ArabIkegami.html > 2015年12月12日アクセス
岩永尚子(2014)「教えて! 尚子先生 イスラム教・スンニ派とシーア派の違いは何ですか?」 <
http://diamond.jp/articles/-/55770?page=2 > 2015年12月12日アクセス

Photograph

大好きな写真がある。
父が、まだ赤ちゃんの頃の弟を、川辺で不器用に抱きかかえている写真。
 
小さな体の脇の下を、両手で挟むようにして掬い上げる父の顔はぎこちない。
痛いのか怖いのか、弟は顔をくしゃくしゃにして泣いている。
写真の中では、父はいつまでたっても子育てに慣れない。
 
誰も弾かなくなった大きなピアノの上に鎮座するその写真立ては、
実家のリビングに帰ると、真っ先に目に飛び込んでくる。
 
その隣に、グランドキャニオンを背景に家族5人が収まる写真と、
さらに隣に、若かりし頃の父と母が並ぶ写真がある。
 
 
愛情を注ぐということは、ときに傷つくことにつながるのかもしれない。
いつか、別れの時はやってくるし、離れ離れになる日は避けられない。
意図的に相手を傷つけることも往々にしてある。
それでも、愛情を注ぐという行為は、生きていることを実感する唯一の手段なのだと僕は思う。
 
思い出は、都合や解釈によっていくらでも変化する。人の感情がそうであるように。
ただ、写真に残された思い出や感情は、変わらずにその形を留めてくれる。
写真の中では、愛を記憶に閉じ込められる。
写真の中の僕たちは、瞳を閉じることも無いし、心が折れることもない。
時間は永遠に凍ったままだ。
 
家族が、バラバラになると、残される側は辛いかもしれない。
そのことを思うと、僕も辛い。
離れているからこそ、僕は家族の愛情を思い返すことがある。
山道を転び、擦りむいた僕の足の傷口を一心不乱に口で吸う父の姿や、兄弟で書いた手紙に涙する表情。
独りじゃないのだから、帰る日を待っていてほしい。
僕はあなたのそばにいる。
 
 
Ed Sheeranの『Photograph』を聴くと、そんな思いがこみ上げてくる。
オフィシャルビデオはご覧になっただろうか。込み上がってくるものを抑えられなくなるくらい、本当に素晴らしい内容だ。
 
Edの幼少期に撮られた大量のビデオや写真によって構成されているこのMVだが、映像のつなぎ方や演出が、もうセンスの塊でしかないのだ。
サビへとつながるBメロから数珠繋ぎのように、連なって繰り出されるEdの幼い姿と、サビに入る直前に挿入される、一瞬の空白を突いた幼少のEdの笑い声と、波音。演出が憎い。
 
幼い日々の貴重な瞬間を、小まめに映像に残したEdの両親に賛辞を送りたい。
 
幼いEdの写真やビデオが、記憶の雪崩のように重ねられるたびに、
どれだけ両親が彼のことを愛していたか、心をえぐられるほどに伝わってくる。
 
息子が初めて街頭で歌う姿など、ビデオに撮っていられるだろうか。
見ている側のほうが、不安で、恥ずかしく、心配になるはずなのに、我が息子が誇らしくてたまらないのだろう。両親の気位が伝わってくる。
そしてその深い愛情に、何度ビデオを見返しても、僕は心を打たれる。
 
最後に、大好きなQuoteを。
 
We keep this love in a photograph
We made these memories for ourselves
Where our eyes are never closing
Hearts are never broken
And time's forever frozen still
When I'm away, I will remember how you kissed me
Under the lamppost back on Sixth street
Hearing you whisper through the phone,
"Wait for me to come home"

 


Ed Sheeran - Photograph (Official Music Video)

小僧の神様

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それは秋らしい柔かな澄んだ陽ざしが、紺の大分はげ落ちた暖簾の下から静かに店先に差し込んでいる時だった。〜
「おい、幸さん。そろそろお前の好きな鮪の脂身が食べられる頃だネ」
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一文で季節と情景を描き、一言で味覚を刺激する。こんな端的に五感を表現したいものだ。そして願わくばこんな通な会話をしてみたい。
「旬」の食材を楽しむことは、単なる美食よりも、よっぽど深く「人生」を堪能しているような気がする。
 
昔から肝心な部分を端折る僕は、文章においても(悪い意味で)短くまとめたがる癖があった。女性的な柔らかな文体に、殊の外憧れたものだった。
いつだったか忘れたが、小説の神様の存在を知り、神様が書く文章は無駄が全くそぎ落とされた、洗練された短文だということを知った。初めて志賀直哉の小説を読んだ時に、そのあまりに潔い簡潔さに、「これでいいのか」と驚いたことを覚えている。なにしろ、ほとんどの文章が「た。」「だった。」で終わるのだ。
 
小僧の神様は「著者はここで筆を置く」という、作者が文中に現れる、ある種の手塚治虫のようなコミカルな技法が取られている一方で、善事の裏に潜む後ろめたさの正体をさらりと描いてしまう一面もある。
小僧にご馳走を働いたA氏がなぜか後ろめたさを感じている内省的な部分には、どうしてこうも人の感情を有り体に表現できてしまうのか、唸らされる。
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小僧も満足し、自分も満足していた筈だ。人を喜ばす事は悪い事ではない。自分は当然、喜びを感じていいわけだ。ところが、どうだろう、この変に淋しい、いやな気持ちは。何故だろう。何から来るのだろう。丁度それは人知れず悪い事をした後の気持ちに似通っている。
若しかしたら、自分のした事が善事だと云う変な意識があって、それを本統の心から批判され、裏切られ、嘲られているのが、こうした淋しい感じで感ぜられるのかしら?
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ここ最近、良い人になりたいと思うことが多い。裏を返せば、良い人ではないから、そういった善人に憧れているのかもしれない。良い人になるためには何をすれば良いのか考えたのだが、やはり目の前の困っている人を助けることから始めてみるべきかと。
座席を譲る、背後の人のためにドアを開ける、エレベーターの「開」ボタンを押し続ける。そういった当たり前のことを徹底してできるように、まずは人間としてのリハビリをしようと思う。

マーケティングと共に フィリップ・コトラー自伝

『マーケティングと共に フィリップ・コトラー自伝』を読んだ。
帯に記された謳い文句にふさわしい内容だと思う。

 

◆「コトラーの原点に迫る最高の教科書」
原点とはつまり、著者の生い立ちや思想の転換期を意味するが、著者本人の言葉で自身の家族、青年時代、シカゴ大学からMITへの移籍、奥様への誘い文句などが綴られている。

もともとは経済学を専攻していたコトラーが、どのような経緯でマーケティング分野へ移ったのかも興味深い。
コトラーのマーケティング観が掘り下げられていることこそが、本書が「原点」に迫っていると言える大きなポイントではないだろうか。マーケティングをサイエンスと捉え、狭義にとらえられがちなこの分野の対象拡大を図った、コトラーのマーケティング観を表す言葉がある。

"マーケティングと聞いて何を思い浮かべるだろうか。中略。一言でいうのは難しいが、企業業績の向上と顧客の価値・満足を創造することで人々の生活の改善を目指す実践的な学問であると思っている"

 

 

◆マーケティングという学問への強い興味
本書から得られたものをあげるとするなら、マーケティングへの強い知的好奇心だろう。商業的なイメージの強いマーケティングだが、本書を辿れば経済学から派生した学問であることがわかる。
一般的にはプロモーションの側面がフォーカスされがちだが、生産者から卸売会社を経て、小売業に至るまでに価格が実際にどのように決定され、企業の広告や販売促進などで需要曲線がどのようにシフトするかを分析する応用経済学のひとつだ。

マーケティングが専門書に登場するのは1910年頃。当時の経済学者が商品の売買の成立が需要と曲線と価格だけで決まるのではなく、流通機構や広告宣伝などの経済活動を見逃してきたことに気づき、問題意識が芽生えた。マーケティングの歴史はここから始まったという。この説明は、経済学を専攻していた僕にとって腹落ちするものだった。

R→STP→4P→I→Cといったマーケティングプロセスの一端も本書から得られるエッセンスだ。
「R」市場のリサーチ、「STP」異なる顧客層を区別するセグメンテーション、どの顧客層をマーケティングのターゲットとするか決定するターゲティング、選定したターゲット市場におけるポジショニング。選択した市場を攻略するための「4つのP」計画の策定。それを「I」インプリメントし、最後に4Pを改善するためのフィードバックを集める「C」コントロールの段階がある。

しかし何より、コトラーという人間への尊敬こそが本書から得られる一番の気付きではないだろうか。貧困の撲滅を決意するなど、社会問題に対する強い姿勢に圧倒されると思いきや、日本の骨董品集めのコレクション趣味に親近感を抱き、はたまた文化的教養を求める生活に刺激を受ける。ジェットコースターのように彼の人格に心が振り回される。

 

◆読感
マーケティングという学問をもっと学びたいと思わせてくれた。
今日のマーケティング部門には限られた機能しか残されていないというのが著者の見解だ。コミュニケーション、価格決定、ブランディングと差異化、消費者行動。私見を述べさせてもらうなら、実態はさらに狭いように思う。
本来であれば新製品開発、イノベーション、メディア、チャネル、市場戦略、サービス、データマイニングなどは、マーケティングの責任者が見るべきとも著者は言う。結局のところ、顧客を理解し、顧客が何を望み、どこへ向かっているかを把握することを考えると、誰かがマーケティングのあらゆる活動を統括する必要がある。
僕はデジタルという小さな領域でしかマーケティングの経験を積んでいない。マーケティングによって人々の生活の改善を目指せるなら、深く学ぶ価値のある、エキサイティングな分野だと思う。

土曜日の喧騒と日曜日の静寂

「あんたたち、耳を澄ますなんてこと、しないでしょ」と断定口調で言われたことを覚えている。
大学生の頃、スペイン語の講師から言われた言葉だ。
京都の私立大学の1コマを教える彼女は、齢五十を過ぎた白髪の日本人で、どこか変わった人だった。
 
何回目かの授業で、僕が辞書を持っていないことを告白すると、「あんた、辞書を持たずにどうやって今までスペイン語の授業を切り抜けてたわけ?」と驚いて問いただしてきた。
「センスで」と調子に乗った言葉を返すと、とにかくツボにはまったようで、しばらくお腹を抱えて悶絶していた。
しばらく呼吸を置いてから、「面白いわね。座布団一枚あげる」と言い放った時には教室が多少ざわついた。座布団って一体なんだ?
「私の授業では、面白い発言をした人に座布団をあげているの。座布団が10枚溜まると、私とランチに行く権利がもらえるの。もちろん、私の奢り。ただし、こんなおばちゃんと2人でランチなんて嫌でしょうから、友達を1人、連れてくる権利もあげるわ」
もちろん、架空の座布団の話だ。
 
ついに座布団が溜まった人は見たことがない。むしろ、この発言以降、座布団の話は一度も出てこなかった。
 
そんな講師に言われた、冒頭の一言だ。「あんたたちみたいなもんは、いまどき、耳を澄ますなんてことしないでしょう」とやたらと決め付けるように言われたので、ムッとした僕は「ありますよ」と毅然と言い返した。
 
「あら」
「夜な夜な、鴨川のほとりに赴いて、川のせせらぎに耳を澄ましています」と僕は嘯いた。もちろん、架空の話だ。
後ろに座る女子生徒が吹き出す音が聞こえた。しかし、講師は思いの他、関心していたようで、
「あら、偉いじゃない。あなた、偉いわね」と褒めてくれた。
 
 
東京に来てからはどうだろうか。思い起こすと、耳を澄ますといった行為はしていないかもしれない。京都に住んでいた頃は、鴨川の側を歩いて自宅まで帰ったり、寝静まった夜の街を自転車で走り抜くなど、静寂の中に身を置く時間が多かったように感じる。そう思うと、あながち過去の自分の発言は嘘ではなかったりする。
 
土曜日に浴びるほど酒を飲み、声が枯れるほど歌い、鼓膜がビリビリと震えるほどの喧騒に飲み込まれた後の日曜日は、ゆっくりと過ごしてみようかと思う。
熱い紅茶を入れて、大好きな音楽に耳を澄ます。歌手の息継ぎのポイント、裏声と表声が切り替わる転換点、バンドのベース音。歌うことなく、ただただ耳を傾ける。座布団に腰を据えながら。
そんな日曜日も悪くないかもしれない。
 
グレートギャツビーを読んだ。
豪華絢爛なパーティーを連夜繰り広げるギャツビーを思うと、静寂な時間の大切さが身にしみる。