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読書感想文/マーケティング/エッセイなど。基本的にフィクションです。

自堕落な曲

 Miley CyrusのWe can't stopが好きです。
「私は私のやりたいようにやる、誰も私たちを止められないわ」といった内容の、若者の勢いそのままの歌詞なのですが、単なる軽薄なパーティーソングに終始していないところに好感を抱きます。

 マイナーな曲調の影響かもしれませんが、どこか、芯の通った覚悟を持つ、宣誓のように聞こえるのです。背後に哀愁を携え、周囲に中指を立てる。内容は、結局のところホームパーティーなのですが、まるで新時代のパンクを思わせるこの曲が好きです。

 曲が発表された辺りでしょうか。髪の毛をバッサリ切り落とし、My Wayを突き進む覚悟を体現して見せ、周囲を驚かせた、彼女自身の心境の変化も影響しているのかもしれません。
 覚悟を持った自堕落さがなんともパンクで、繰り返し聞いてしまうのです。
 Bruno Marsがカバーしたものがあれば聞いてみたいとも思います。


 覚悟を持った自堕落といえば、Amy Winehouse。浴びるほどのお酒を飲みながら絞り出すValerieは何度聞いても飽きません。曲中に何度も「Valerie〜♪」と連呼していてようが、飽きることはありません。

 Bruno Marsが彼女へのトリビュートとして、グラミー賞のステージでValerieを披露しているのですが、軽快なサウンドとステップとは裏腹に、歌いながら泣いているのではないか疑うほど、彼女への愛が滲み出ている、素晴らしい演奏でした。

「Why don't you come on over, Valerie」
 心の中では、ValerieをAmyと置き換えて歌っていたのかもしれませんね。もうあなたはここにいない、そんな寂しさが聴こえるようです。


 自堕落、という意味では、少し古いですが、Barret StrongのMoneyも非常に退廃的な、滋味豊かさがあります。
「欲しいのは金だぜ」
 清々しいほどに開き直ったメッセージには、欲望と素直に向き合う、人間の強さを感じずにいられません。

 Bruno Marsがこの曲をカバーしており、アコースティックギター1本で歌い上げる姿は圧巻です。邪推ですが、この曲から「billionaire」のインスピレーションを受けているのだと、勝手に確信しています。


 お気付きですか。一番好きなのはBruno Marsです。

トイレへの思い

 トイレに対して、人並み以上の思い入れがあります。
なぜそうなったのかは判然としませんが、恐らく人並み以上にトイレが近いからでしょう。
ザイオンス効果」をご存知でしょうか。接する回数が増えるほど、親しくなる作用です。僕とトイレの関係は、単純接触回数の多さの結晶です。

 

 シャワートイレの素晴らしさについて、今さら語るまでもありませんが、それを差し引いても、昨今のトイレは素晴らしい発展を遂げています。
 水、石鹸、乾燥が一体となった手洗い場なんて、昔から「こうなればいいのに!」と思い描いていた姿そのものです。(すみません、便利な物が現れると「自分も思っていた」と主張したくなるタイプでして)

 

 突然、なんのカミングアウトかと訝しまれるかもしれませんが、座って用を足すタイプです。大はもちろん、小も。大は小を兼ねると言いますから。

 

 それはさて置き、トイレに対して人並み以上の思い入れがあると、時に許しがたいことも起こります。人並み以上の思い入れは、得てして人並み以上の狭量をもたらします。


 会社の便座に座っていた時でした。五つ並びの真ん中の個室に陣取っていたことを覚えています。

 弱すぎもせず、強すぎもしない「中」の位置が点っていることを確認し、いつものようにシャワーのボタンに手をかけます。

 

 異変に気がつくのに、時間はかかりませんでした。

 

 今か、いまかと待ち構える黄門様に、来るべきはずの助さん格さんが一向に参らないではないですか。ウィーンという無機質な機械音と、ちょろちょろと流れる水のせせらぎが聞こえるばかり。もう一度シャワーボタンに目をやるも、「中」の位置は点ったまま。
 一旦停止し、再びシャワーを試みるも、一向に紋所が目に入ってきません。

 

 不具合、という結論に至るまでに、時間はかかりませんでした。

 

 怒りと不安が同時にこみ上げてきます。「この御方をどなたと心得る!」助さん格さんの怒号が頭を飛び交います。どうにか、黄門様を鎮めなければいけない。

 

 ここを出よう。そう決意するまでに、時間はかかりませんでした。

 

 幸い、トイレに人の気配はありません。とはいえ、交通量の多い社内のトイレ。いつ、人が入ってきてもおかしくありません。迅速に移動しなければ。

 

 待ちわびる黄門様をひっさげ、ズボンを膝下にひっかけたまま、個室を後にしました。膝を曲げ、半屈みの姿勢でカニ歩き。お尻は丸出し、手にはトイレットペーパーの欠片。万全の受け入れ態勢。クレヨンしんちゃんも嫉妬する、ケツだけ星人です。
 見る人が見れば、ゆみかおるもびっくりの濡れ場シーンでしたが、幸い誰にも見られず、事なきを得ました。

 

 なんの話でしたでしょうか。取り止めがなくなってきたので、このへんで。トイレに行ってきます。

部屋について ふたりごと

 お題を与えられると、カーペットの染みのように、その一点を中心にジワジワとイメージが広がっていくのですが、テーマを選べと言われると、なかなか難しいものがあります。興味深いテーマとは何か、それは書き切れるものなのか、面白いのか、等々。
 選んだ後のことを気にしすぎて、安易に決められないのでしょうね。自分が選ぶ立場に立たされると、石橋を叩きに叩いて、結局渡らないタイプです。

 

 テーマというほど壮大なものでもないのですが、「住まい」についてここ数日、思いを巡らせています。
 引っ越し、出張、旅行など、様々な部屋に根を張る機会に恵まれてきたのですが、全ての部屋に共通することは、空間が広いと居心地が良いということです。何をそんな当たり前のことを、と思われるかもしれませんが、僕の中で最近になってたどり着いた結論です。
 ベッドの大きさは同じでも、部屋の空間が広いと、それだけで満足度に大きな違いが出ます。不思議ですね。僕にとって良い住まいとは、空間の広さそのものです。広い空間はそのまま、満足感や安心感に繋がります。

 

 そういった意味では、大学3~4年生時に住んでいた下宿先の部屋は、満足感や安心感とはおよそ対極にある、閉塞感に満ちた豚小屋でした。

 

 間取り図に堂々と記載された「六畳」は、体感としては四畳程度でしたし、窓は鉄格子のついた牢獄のそれを思わせるような小ささで、おまけにバルコニーもありませんから、洗濯物を吊るすために、苦労して、屋根に紐を括り付けたことを覚えています。
 壁は湯葉のように薄かったです。隣人の趣味なのでしょうか、重厚なベース音が常々、豚小屋に轟いていました。僕が豚ならストレスでやせ細っていたでしょうが、当時の僕はお金がなかったので、それはそれでやせ細っていました。

 

なぜそんな豚小屋に住んでしまったのでしょうか。

 


 大学2年生の暮れ、僕は引越しを検討していました。通っていた大学では、3年時からキャンパスが変わるため、そのタイミングで住まいを変える学生が多かったのです。
京都の郊外から市内にキャンパスが変わるタイミングでの引っ越し。僕はそれまでの反省を踏まえて、「とにかく大学から近い物件」ただ一点にフォーカスし、物件を選びました。1~2年時は、下宿先と大学に距離があったため、次第に大学に足を運ばなくなってしまったためです。

 

 そして見つけた、おあつらえ向きの物件。なんと、大学から通りを一つ挟んだだけの距離。夢の徒歩30秒です。
「それでは来週、内覧にいきましょう」爽やかな笑顔で、不動産会社の男性スタッフが言いました。今思えば、こやつが全ての元凶でした。

 

 翌週、男性スタッフが運転する車に乗り込み、物件へと向かいました。車内には男性スタッフ、僕、そして他物件の見学のために乗り合わせた母娘の親子一組がいました。
物件までおよそ1時間弱のドライブ。当時の僕は愛想が良かったので、その若い男性スタッフと、助手席から色々な話をしました。好きな音楽は何か、どのような音楽を聴くのか、音楽は好きか、等々。
「え、Radwimps好きなんですか?」
「好きですよー。歌詞、良いですよね!」
 なんて、女子みたいな会話で盛り上がったことを覚えています。

 

 すっかり打ち解けた僕たちは、そのままの勢いで京都南インターを降り、お目当の物件に車を横付けさせました。シートベルトを外そうとした瞬間、先ほどまで「『ふたりごと』が大好き」などとはしゃいでいた男性スタッフが突然、「今からお前に何話そうかな、どうやってこの感じ伝えようかな」なんて神妙な顔になり、こう言いました。
「実は、まだ部屋が空いていないため、中に入れないんですよ」

 

 神様もきっとびっくり!

 

 思わず男性スタッフと物件を交互に、二度見しました。インド人も2度ビックリです。今世紀最大の突然変異ってくらい、態度の豹変したスタッフをまじまじと見つめます。頭の中でリフレインする『ふたりごと』。ここまでの時間はなんだったのか。なんのためにここまで来たのか。野田 洋次郎の歌声が止みません。
時に嘘つかせないで。

 

「まだ住民の方が住んでいるみたいで、内覧できないみたいなんです。ごめんなさい」

混乱で頭がいっぱいでしたが、せっかく仲良くなったこのスタッフ相手に、「時に嘘つかせないで」なんて、そんなセンチメンタルな文句も言えるはずがなく。

 

 うつむく僕。車内にほとばしる緊張感。固唾を飲んで様子を見守る、後部座席の親子。どうか、機嫌を損ねないで、と彼女達の心の声が聞こえるようでした。彼女たちの内覧には、僕もついていくのです。

 

「外の感じだけでも、見ていただこうかと」と、男性スタッフ。
なるほど、焦げたレンガ調の外観は、どことなく大学の校舎に似ていて、親近感が湧く、ってバカ!

 

 当時の僕は(今もそうですが)思考が浅はかでしたので、
「そうですね、外観は可愛らしいですよね」といってその日のうちに物件を契約してしまいました。

 

 この決断は、僕の人生において、カーペットの染みのような汚点となっています。

諦め

2月は7月ではないし、手に入れることと、諦めることは、別問題だ。
しかし、優しさは違う。

何かを諦めると、漏れなく優しさが手に入る。

それは焦燥のトンネルから抜け出すことで得られる、一時的な解放感かもしれない。
脇道にある、タバコの休憩所でたむろするときの、無力感に似ているのかもしれない。
(僕はタバコを吸わないが)

それでも、優しいことは、良いことだ。

優しさを手にいれると、当たり前のことだが、優しくなる。
自分にも、他人にも。
もう一度トンネルに戻ったとしても、これまでの自分とは違う態度で、臨めるように思えてくる。

2月の僕は焦っていた。
焦りは怒りを生み、怒りは動機を与える。
理想の姿と、現状の姿とのギャップに僕は怒りを覚えるタイプだ。
そしてその怒りこそが、仕事を遂行するモチベーションになっていた。

7月、僕は怒りを諦めた。
対峙するでもなく、向き合うでもなく、付き合うでもなく。匙を投げた。
するとどうだろう、穏やかで平穏な心を手にいれた。

周囲への刺々しい態度は萎れ、自己防衛の弁論はどうでもよくなり、他者の言い訳もどうでもよくなった。
後ろ向きな言い方かもしれないが、僕はこの変化をポジティブに受け止めている。

優しいって、平和なことだ。

もちろん「このまま」で良いとは思っていない。

また、トンネルに戻らないといけない時は来る。
仕事を続ける以上はトンネルと光との往復だ。今は横穴から抜けて、光を浴びているだけなのかもしれない。
それでも、優しさを身につけてから戻るトンネルは、以前より少しくらいは、明るく見えるはずだと、期待している。

毎日の仕事柄

 仕事柄、通勤には電車を使います。基本的に毎日、同じ駅を利用します。
 
 不思議なもので同じ駅を毎日利用しても、景色は毎日違うのですね。道行く人々の服装も、茹だるような熱気と呼応するように移ろいを見せます。
 
 「D判定じゃないか」と学生服の少年は興奮気味に言いました。すれ違う女性の胸のサイズです。
 
 仕事柄、道行く人々をよく観察します。
 
 最近の流行りの服は何か、肌の露出加減は如何程か。生地の薄さはどうか、ブラジャーは透けていないのか、などなど。胸元の緩い服(そう、もっと屈め!)、臀部の過半数が可決されたショートパンツ、裾口から呼吸するタイトスカート(足を組み直すなら今!)などなど。
 
 仕事柄、色々見てしまいます。
 
 卑しい気分になることもしばしばですが、そんな時は壁のポスターに目をやります。大抵、大きな旅行のポスターがあります。今日は山形のポスターでした。なぜ、山形なのでしょうか。
 
 「そこに山形があるからさ」と学生服の少年は得意気味に言いました。高校時代の友人の、高校時代の名言です。その友人とはそれきり、疎遠になりました。
 
 なぜ、山形なのか。なぜJRの駅内ポスターは、今、山形なのか。夏祭り?夏の名産?夏のミニスカート?
 
 気になって調べましたが、残念ながら明瞭な理由には巡り合えませんでした。春秋であれば、桜と紅葉の綺麗な京都が有名です。「そうだ、行こうよ」と半ば強制的に想起させられますし、冬であれば秋田の芳しい温泉写真に惹かれます。それも、乳白色の温泉です。
 
 「冬に雪景色」は、「夏に沖縄」と等しく効果的なのでしょう。残念ながら駅構内に沖縄のポスターを見かけませんが。
 
 なぜ、夏に山形なのか。仕事柄、山形には行ったことは、まだありませんから、分かりません。JRには是非とも頑張ってもらい、沖縄まで新幹線で行けるようにしてもらいたいですね。

同窓会の後の話

年末年始について語ってみた。


やれやれ、僕は一日中パソコンと向き合っているのだが、
未だかつてなっとくのゆく文章と巡り会ったことがない。
もちろん、自ら紡ぎだす文章のことだ。
 

「ねえ、一体いつまでブログの更新をさぼるわけ?」
起き抜けに斉藤さんの声が頭の中で鳴った。
そうだ、いい加減そろそろ、ブログを再開しなければいけない。
斉藤さんはドラマの観月ありさのようにしつこく、僕をしかってくれる僕の中だけに生きる存在だ。

そんなわけで、年末の振り返りでもしようと思う。
振り返り。それ以上でもないし、それ以下でもない。

 

 

****************** 


12月29日は寒かった。年末とは、そういうものだ。

数人の同窓会参加者と大阪駅御堂筋口で待ち合わせのうえ、お店に向かった。
猥雑な商店街を抜け、飛び交う喧噪を抜け、早すぎる抜きの誘いを抜け、
お店に着くと、高校の同級生たちと数年ぶりの再会を果たした。

わずか数年ぶりの再会とあってはどこが変わったかを見抜く方が困難だった。
それはオフィスに整然と並べられた観葉植物のように変わり映えしない光景だった。
 
たいした感動も感慨もなく、感傷にひたることも安酒に酔うこともなく、
同窓会は無難に幕を閉じた。カーテンコールへの予定調和な拍手を思わせた。

会の終了後、僕はM君一派とともにM君の実家に向かった。
高校の同級生であるM君の家に泊めてもらう約束をしていた。


「めっちゃ寒ない?」

大きなスーツケースをガラガラと引きながらI君は僕とM君に言った。
I君も同じ高校の同級生だ。
3人で並んで歩く、京都の住宅街。
ここらは街灯も少なく、1ブロック先の道路が見えないくらい真っ暗に静まり返っていた。
濃霧注意報があるなら、濃闇注意報があってもいい。そう思わせる暗さだった。
 
誰もI君の質問に答えない。

「I君のスーツケース、うるさすぎひん?」

M君はI君の質問を無視して、別の質問を投げかけた。
たしかにI君のスーツケースのガラガラ音は、
シャコタン車から漏れるヒップホップのような騒音を辺りにばらまいていた。
道なりに建つ民家に石を投げつけるような、固い音だった。

「うん、タイヤのゴムが取れちゃってん」
と、I君はスーツケースを犬のように愛でながら言った。

M君もスーツケースを引いていたが、I君ほどにはうるさい音を立てていなかった。
スーツケースに優等生と劣等生があるのなら、M君のそれは優等生だ。

「謝って」
M君は冷たく言い放った。
「え、ごめん」
I君はスーツケースを我が子のように庇った。

二人とも職場は京都から遠く離れた場所にある。
今回は年末年始の帰省で京都に帰って来ていた。
家族水入らず、団欒のひととき。
そんな越年の中、図々しくもM君の家にお邪魔する身分とあっては立場を弁えなければいけない。
僕は何も言わず二人の会話を微笑ましく聞いていた。

「まだ着かないの?」
耐えきれず、僕は不満を漏らした。一駅分は歩いたはずだ。
東京に住んでいると、田舎の広さを億劫に感じる。

他愛もない会話も角を曲がる頃には愛おしくなり、
M君の家に到着したときには、次はいつ、こうして3人で集まれるのだろうかと寂しくなった。

「じゃあ、また。よいお年を」
とI君は僕とM君とは別の道を歩み、暗がりに消えていった。
 

「あっ」
M君は慌てていた。玄関のドアをあけようとしていたところだった。
「カギかかってるやん」舌打ちをするM君。時刻は深夜2時。
「そりゃ、こんな時間だからカギもかけるだろうよ」
「違うねん、俺、カギ持ってへんからあけといてって言ってあんねん」
「でも、カギはかかっている。それは事実として受け入れないと」
事実はそれ以上でもそれ以下でもない。

「やかましいわ」
M君はイライラしていた。何回チャイムを押しても誰も反応しないからだ。
電話もつながらない。

年の瀬。寒空の下、僕らは巨大な闇の中にぽつり、取り残される格好になった。
見方を変えれば、家からつまはじかれたように見えなくもない。
聳えるように並び建つ周りの住宅は、乾いたナプキンのように冷たい視線を投げかけていた。

「やばい」

僕は雪山で遭難したスノーボーダーを想った。
コース外を滑走し、行方不明となった2日後に救出されたスノーボーダー
彼らは暗闇の極寒の中、何を思い、何を考え、何を信じて生き長らえたのだろうか。
バックカントリーなんて滑らなければよかった?
そうだろう、全て自己責任の世界だ。
僕らの行動には全て、自らの責任が伴う。それが自由というものだ。

「I君に電話しよう」
I君の家は数ブロック離れた場所にある。I君の家に泊まればいい。

「ファック、つながらない」
「風呂に入ってるんちゃう?」と、M君。
「とりあえず行ってみよう」

I君の家は真っ暗だった。窓から光が洩れてこない。
「やばい」
出川哲朗もびっくりだ。

「あれ、あそこの小さい窓、お風呂場ちゃうん?」
M君が指差した先、玄関の隣の小窓にだけ、木漏れ日のような灯りがついていた。

I君は相変わらず電話に出ない。LINEも既読にならない。
「I君、お風呂場に入ってるんちゃうん?」
M君は門を勝手に開き、玄関脇の小道にずかずかと入り、
置物の植木鉢を壊し、網戸を壊し、もとい、取り外し、
小窓に腕を伸ばしてコンコンと叩いた。
 
キタキツネの鳴き声のように響くノック音。
吐く息は白かった。

誰も出てこない。
僕は内心ビクビクしていた。お風呂に入っているのがI君でなかったらどうしよう。
I君には2人のお姉さんがいる。もしお姉さんが出てきたらーー
最悪の事態を想像し、言い訳を考える。
「違うんです、これは、違うんです。覗きじゃないです」

I君であってほしいような、あってほしくないような。
心のどこかでお姉さんが出てくることを期待していたのかもしれない。

再三に渡る小窓ノックの末、ようやく窓が開かれた。
地球の自転が絡まったかのように、その瞬間はとてもゆっくりと過ぎた。
I君だった。
 
安堵と落胆が入り交じったため息が漏れる。

I君は特に驚きもせず、「ちょっと待ってや」と残し、
裸のまま玄関のドアを開けてくれた。

水滴だらけの裸体に寒気が襲いかかる。I君は寒さに声を震わせながら、
「泊まっていき」と迎え入れてくれた。
僕らはI君の優しさに甘えることにした。

I君は優しい。

わざわざ朝ご飯を用意してもらったにも関わらず、
「お茶がない」「卵焼きの味がない」「時間がない」と文句ばかり言う
僕とM君を春風のような柔らかい笑顔で見つめるだけだった。

その優しさゆえ、小学校のときに1人の女の子から熱烈なラブアタックを受けていたI君。
毎日下駄箱を開けるとオムツが入っていたとかいなかったとかの話もあるのだけれど、
長くなったのでこの辺で。

【短編小説】目に見えない⑥(完)

 部屋に帰ると、リサがいた。そして、マユコもいた。珍しい来客に驚いていると、リサがにやついた顔で近づいてきた。部屋の入口に立つ僕の真正面に立ち、首に腕をまわしてくる。


「へぇ、浜野くん、そんな風に思っていたんだ?」


 鼻と鼻が触れるほどに顔を近づけるリサの言葉の意味が解らず、僕は呆然と立ち尽くす。キスでもされるのだろうか?マユコが見ているじゃないか、とハラハラする。

「マユコと私と、4Pしたかったんだ?」意味がわからなかったが、逡巡し、先ほどの小澤との会話を思い出す。『そりゃ、できることならしたかったよ』

「なぜそれを?」驚きを隠せなかった。なぜ、そのことを知っているのだ?

 リサは相変わらず腕を絡めたまま、挑発的な笑みを浮かべていた。

「浜野くんが私に盗聴器をしかけたこと、頭にきちゃってさ。仕返しに、私も浜野くんに、盗聴器をしかけたの」そういって、リサは僕のシャツの胸ポケットに指を突っ込み、小さな、銀色の筒状の盗聴器と思われる物体を取り出した。全く、気がつかなかった。
「今日、小澤くんと会っていたでしょ?私のこと、相談しちゃって。可愛いなぁ、って思ったの。盗聴器をしかけられたことはありえなかったけど、そこまで私のことを考えてくれているんだと思って、キュンときちゃった。だからね、ご褒美をあげようと思ったの。私、優しいでしょ?」

「ご褒美?」盗聴器を仕掛けられていたことへの驚きが冷めないなか、リサの意味不明な発言は、僕をさらに当惑させた。

「そう、ご褒美。だから、マユコを呼んだの。したいんでしょ、4P。あ、でも私、小澤くんのこと好きじゃないから、さすがに4人で、っていうのはできないけど。お返しの3Pならできるよ。ほら、混合ダブルスだよ」

「ダブルスは、3人じゃできない」

 リサは僕の反論を無視して、腕を引っ張ってベッドへと招き入れた。マユコは苦笑いをしている。きっと、リサに無理矢理付き合わされたのだろう。えーそんなつもりじゃなかったぁ、はずだ。

 音声でリサの浮気が発覚して、小澤は見えなければフェラ直後のキスは許されると主張し、都市伝説のアスパラおじさんの姿ははっきりと見えず、花火の煌めきも見ることができなかった。
 ―俺はこう見えても、目隠しをされるのが好きなんだよ―

 僕は珍しく、というよりも初めて、自分の意見をリサに主張した。

「いいけど、せめて、目隠しさせてくれ」
 リサは何も言わず、手を握ってくれた。