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【書評】トマトの話(五千回の生死) 宮本輝

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トマトを欲しながら死んでいった労務者から預かった、一通の手紙の行末。
(巻末より)

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メタファーって便利で、本当に伝えたい事を表現できるときがある。
直裁的に対象を詳細に説明するよりも、あえて視点を対象から外す事で
読み手に強烈な印象を与えられる。
読み手に状況を連想させることが影響しているのかもしれない。

 

例えば、僕にはこの間、腹を立てたことがあったのだけれども。
「僕はカンカンに怒った」と、直接に心の状態を表すよりも、
「僕はスマホを壁に投げつけた」のほうが起こっている前後の状況や情景が伝わる気がする。
僕の起こした行動を表現しているだけなのに、なぜだか後者の方が心情が伝わってくる。

あるいは、分かり易く男と女が淫らに肌を絡めるシーンよりも、
熟れた桃にねっとりと唇を這わせながらしゃぶりつく長谷川京子の方がエロかったりする。
これは僕の好みの問題かもしれないが。

本書には大学生の主人公が寝たきりの日雇い労務者を気にかけ、
要望通りトマトを買ってきてあげるシーンがある。
しかし労務者は欲しがっていた割にトマトを食べる事は無く、
胸の上に愛おしそうに両手で抱えるだけ。

労務者の死後、寝ていた布団のまわりは血の海のようになり、
その中に腐りかけたトマトが5つ転がっていた。

 

僕はこのトマトこそが、主人公から見た労務者の命だと思っている。
作中ではついに、労務者がなぜトマトを欲しがったのか、
また、欲しがったトマトを食べずに大事に愛でていた理由は明かされていない。
もしかしたら労務者と、労務者が手紙を出す相手の女性との間に
トマトにまつわる思い出があったのかもしれないが、そこは本題と関係がないのかもしれない。

 

この物語は静かに、深い所で流れるように命の躍動と儚さを唱っているように見える。

 

主人公が買ってきた5つのトマトが、労務者が吐いた血の海の中に転がる。
メタファーという言葉が適当かわからないが、躍動する生命を司る鮮やかな赤い血のなかに、
同じく赤を灯した、しかし腐り掛け(生命の終わり)のトマトが転がることが、
フレッシュな大学生の主人公と先の長くない労務者との命の関係を表していように思えた。

 

そして、預けられた手紙を通して、主人公は素性も知らない男の生命の終わりに対して
後悔の念を頂き続ける事になる。これも、形を変えたメタファーだと思った。
手紙の件がなければ主人公は悔やむ事も、そのことによってふとしたときに労務者の姿を思い出す事もなかったのだから。
ケータイをなげつけたことによってしばらく誰とも連絡が取れなくなった
僕の後悔のように。

 


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