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暴力の正体とは?【書評】限りなく透明に近いブルー(村上龍)

概要(あらすじ)

 

米軍基地の町・福生のハウスには、
音楽に彩られながらドラッグとセックスと嬌声が満ちている。
そんな退廃の日比の向こうには、空虚さを超えた希望がきらめくー。
 

感想

福生のハウスとは、福生市にある米空軍横田基地周辺にあった(元)米軍住宅だという。
戦後、ハウスは安く借りられる広々とした一軒家として芸術思考の若者を惹き付けた。
治外法権時代に開かれていた乱交パーティーの文化はそのまま残ったと言われる。
 
そんな環境に羨ましさを覚え、
本書の至る所で展開される卑猥な行為に興奮を覚え、
読み終えた後に全身を凌辱されたような感覚を覚えた。
みぞおちに肘を打ち込まれたように、体中がぐったりとするのだ。
 
何故だろう。
ひとつに、この作品が暴力を延々と描いていることがあると思う。
 
”衝撃”とはこの、村上龍のデビュー作の慣用句として多々用いられるが、
僕は”乱暴”という印象を受けた。
 
雑という意味ではなく、暴力的に乱れているのだ。
 
私刑や恋人への暴行シーンはもちろん、
目の前で起こる暴力を淡々と眺めるだけの主人公リュウの態度そのものも、ある種の暴力にうつる。
セックスの描写ですら、痛々しいと感じてしまう。
著者が描くセックスとは暴力なのだと思った。
 

暴力の正体

なによりも暴力的なのは著者の語り口だ。
彼のエッセイや69にしても、その訴えかける語り口はひ弱な僕にとっては一種の暴力だ。
 
そしてこの語り口こそが、読後の疲労感の主な原因なのかもしれない。
兎にも角にも、文章が読み手と共鳴してしまうのだ。
自分が物語に乗り移ったかのように、あるいは物語が自分に乗り移ったかのように、
ひしひしと登場人物の痛みを感じてしまう。
 
暴力と共鳴。
 
ただ、思うに、もっとも暴力を被っているのは著者自身なのかもしれない。
主人公リュウがドラッグを摂取した際に見せる錯乱した様子の描写は、
自身がラリった経験がないと描けるものではないと思う。
そういった意味に加えて、前例のない文体や退廃する生活への憑依など、
この本は著者が命を削って書いた小説なのではないか。 

刺さった一文

ラストのシーンに、印象的な一文があった。
 
 
これまでずっと、いつだって、僕はこの白っぽい起伏に包まれていたのだ。
中略
そして自分でこのなだらかな白い起伏を映してみたと思った。
僕自身に映った優しい起伏を他の人々にも見せたいと思った。
 

 

これこそが、著者が、あるいは著者に限らない大半の作家が
小説を書いている理由だと思った。
 
綺麗だと思った景色を、そのまま誰かに見せるだけでは満足できない。
自分の中に映った、自分のフィルターを通した景色を人に見せたいから小説を書いているのではないだろうか。
 
 
なお、本書の当初の題名は「クリトリスにバターを」であったが、露骨な性表現のため改題したとのこと。
 
 


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