【短編小説】目に見えない①
◆1章◆
「フェラをした直後にキスをせがんでくる女の神経が理解できない」
小澤はほとんど残っていないアイスコーヒーの底を、ストローでズーズー吸い上げながら言った。子鹿のようにつぶらな冷たい瞳で、こちらを上目遣いに見てくる。
僕は小澤の下衆な発言に呆れたが、考えてみれば、これまで小澤から下衆な発言しか聞いた事がなかったので、そのぶれない姿勢というか、一貫した下衆さには何故だか感心させられた。
下北沢の駅前、雑然としたファミレのボックス席に、僕と小澤は向き合って座っていた。隣のテーブル席には男女三人が軽やかに談笑している。男性二人と女性一人。その構成に、僕は吐き気を覚えた。先日の悪夢が蘇ってくるようだ。
「舐められているのは自分のものなんだから、別に構わないじゃないか」僕は声の大きさに気をつけながら言った。
「浜野、おまえ、女みたいなこと言うな。俺にはおまえのその発言が信じられないよ。自分のものだろうがなんだろうが、汚物を排出する器官を咥えたその口で、人さまの唇を吸おうなんて、デリカシーのかけらもないと思わないか?相手に対する思いやりとか、相手の立場に立って考える姿勢とか、ないのかね。理解できないよ」
そう言って小澤は、テーブルに備えてある紙ナプキンで脂肪を蓄えたお腹の汗を乱暴に拭き、くしゃくしゃに丸めて隣のテーブル席に座る女性の足下にぽいっと放った。
足下に転がってきた汚れた紙ナプキンに気付いた隣の女性は、眉をひそめて、露骨に小澤を睨んだ。
「その言葉をそっくりそのまま、小澤に返すよ」
僕は小澤に代わり、こちらを睨んでいる隣の席の女性に会釈をして謝意を表した。女性の向かいに座る男性二人は突然の僕の会釈に驚き、怪訝ではないものの、不思議そうな顔をしていた。
「浜野は女に対して優しすぎるんだよ。どうせ、フェラした口でキスを迫られても拒否できねーんだろ」
「そもそも拒否しない」
「うそつけ。自分の竿が目の前で咥えられているのを見ているんだぞ?間接的に自分の竿とキスするなんて、耐えられるか?」
「そんなに気にならないなぁ。小澤が気にし過ぎなだけだよ」
「うそつけよ。咥えられているのを目の前で見ているんだぞ?」
小澤の声が次第に熱を帯びてきた。また、隣の席の女性がこちらを見ている気配がしたが、今度は無視をした。
「咥えられているのを見なければいいのか?」僕は訊ねた。
「そうだな。見なければ、別にいい」
「えっ」
「目隠しをされている状態なら、別に気にしないな」
「なんだそれ」僕は呆れてつぶやいた。
「なんだそれって、なんだよ。俺はこう見えても、目隠しされるのが好きなんだよ」
「知らないよ。この上なく、どうでもいい」
「浜野、俺の性癖に興味ないのか?」
「あるわけないだろ、気持ち悪い。目隠しされていたらフェラの直後にキスをされても大丈夫なのかよ」
「そりゃあ、おまえ、見えてないんだから大丈夫だよ。フェラされているのが見えてないんだから、あんまり気にならないだろ?」
「よくわかららない」
僕はボックス席の背もたれに身を投げた。小澤はしょっちゅう、よく分からない屁理屈ばかり並べる。
「ほら、言うじゃねーか。本当に大切なものは、目に見えないって」
「いろいろと違う気がするし、星の王子様の名言を卑猥な引用に使わないでほしい」そう言ってから僕は、冗談半分で、「そんなことを言っていると、アスパラおじさんに追いかけられるぞ」とつけ足した。
小澤は思いのほか食いついてきた。
「なんだ、アスパラおじさんって」
「知らないの?アスパラガスを持って街中を全力で疾走する小さなおじさんだよ」
「知らねーよ」
「いま、話題なんだけどな。みさかい無く、人を追いかけるらしいんだ。すごくちっちゃいのに、とんでもなく足が速いから、一度追いかけられると、ほとんどの場合、捕まっちゃうんだって」
「本当かよ。捕まると、どうなるんだよ」
「速すぎて、誰も捕まったところを見ていないんだ」
「なんか怪しいな。どこで話題になっているんだよ」
「下北沢で話題らしいよ」
「らしいよってなんだよ」
「リサがそう言っていたんだ」
「いつ?」
「こまかいなぁ。僕がキスを拒んだときにリサが言っていたんだよ」浜野くんなんてアスパラおじさんに追いかけられちゃえ、と言われたことを思い出す。
「浜野がキスを拒んだのか?」
「うん」
「なぜ?」
「フェラをされた直後だったから」
「おまえも拒んでるじゃねーか」
小澤はかっかっと笑った。口を大きく開けて喉の奥から破裂音を響かせる笑い方をするから、本当に「かっかっ」と聞えるのだ。下品な笑い声を店内に響かせた後、小澤はコップに残っていた氷を一気に口へ放り込んだ。
「まあ、浜野は悪くねーよ。フェラした直後にキスを求める女がどうかしているだって。そんな女、アスパラおじさんのアスパラガスでもしゃぶらせておけばいいんだよ」
「おい、やめろよ」僕はぴしゃりと言いつつも、2本のアスパラガスを咥えるリサを想像して、再び吐き気を催した。
続く