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書評や妄想、ショートショート、エッセイなどを書きたいです。基本的にフィクションです。

【短編小説】目に見えない④

「で、浮気していた証拠とか、あるのかよ?」
 小澤がストローの先端を噛みながら聞いてきた。グラスの中は空っぽで、アイスコーヒーの氷もなくなっていた。口の寂しさを持て余していた小澤はストローをしきりに噛んでいた。
 下北沢にあるファミレスのボックス席で、僕はリサに浮気されたことを小澤に打ち明けた。「浮気」という単語に反応したのか、またもや隣のテーブル席に座る女性がこちらを振り向いた。軽く会釈してあげると、彼女は気まずそうに目を逸らした。
「証拠は、ある」
 兆候はあったのだ。僕とリサが同棲している(正確には、リサが転がり込んできた)部屋に、茶色の短髪が落ちていたことがあった。僕の髪の毛は短いものの、人生で一度も染められたことはない。まさか、と思いながらも、その見知らぬ髪の毛について確かめる勇気も指摘する勇気もなく、何も言わずにそっとティッシュに包んで、ゴミ箱に捨てた。リサはベッドに寝転び、鼻歌を口ずさみながら雑誌をめくっていた。
 見慣れない煙草の銘柄が灰皿に置かれていたこともあった。その吸い殻は、普段リサが吸う銘柄ではなかったし、女性には重すぎる類いのものだった。そもそも僕は煙草を吸わない。体質的にも合わない。しかし、リサは煙草を吸う。禁煙の難しさは理解できるが、嗜むにしても、部屋の中ではなく、せめてベランダで吸ってほしかったのだが、「私、煙草、吸うから」の一言で、僕の部屋と肺は毎日ニコチンで満たされることになった。僕は毎日、副流煙の持つ危険性と戦っている。愛すべきリサが吐き出す副流煙なら我慢できるが、どこの馬の骨かわからない男の煙を甘んじて肺の中に溜め込むことは耐えられなかった。そこで僕は、ある仕掛けをした。

「盗聴器を仕掛けたんだ」
 僕が遠慮がちに言うと、小澤は噛んでいたストローを吹き出した。
「浜野、大胆なことをするな!」
「おかげで、証拠をつかむことができたよ」
「で、どうだったんだ?」
「3Pしていた」
 小澤はまた噴き出した。
「3Pっていうのは、プレステの三人プレイではなく」
「3人が同時にセックスをする方の3Pだよ、残念ながら」
「マジかよ。男女構成は?」
 僕は無言で、隣のテーブル席を指差した。男性2人と女性1人が軽やかに談笑していた。
「なるほど。それは、残念だ」
「うん、残念だ」

 僕は昨日、つまり、小澤と下北沢のファミレスでしゃべっているこの瞬間から1日前、リサに問いただした。3Pをしていたのではないかと。リサが、僕ら二人の愛の素で、正確にはリサが転がり込んできた僕の部屋でそんな淫らな行為をしていたなんて、到底受け入れられなかった。
「3P?したよ」リサは体育座りの格好でテレビを見ていた。
 ご飯?食べたよ。と言わんばかりに軽やかに、まるで空気を吸うかの如く当たり前のように応えられてしまったので、僕の方が面食らった。僕の聞き方が間違っていたのだろうか。そんなにさらっと流せる問題ではないはずだ。すると、リサは続けた。
「浜野くんさ、テニスするでしょ?」
「うん」
 僕は高校時代、テニス部に所属していた。今でも、月に1度は会社の同志とテニスを楽しんでいる。
「4人いたら、ダブルスするでしょ?」
「うん」
「そんな感覚だよ」
 一体どんな感覚だというのだ。大体、3人でダブルスはできない。
「ダブルスは、4人じゃないとできないよ」僕は首を傾いで反論した。
「ねえ、そこじゃないでしょ?」リサは苛立った様子で頬を膨らした。
 僕が悪いのだろうか?イラっとされる筋合いはないはずだった。相手のペースにはまってはいけない。初めて合ったときも、強引に自分のペースに持ち込んだからこそ、今この関係があるのではないか。押されてはいけない。リサは不貞を働いて、僕はその証拠をつかんでいるのだ。
「ごめんなさい」僕は、とりあえず謝る。
「まあ、別にいいけどさ」リサは許してくれた。体育座りの格好のまま、リサは再びテレビへと顔を移した。
 僕はソファに腰掛け、一言、「ありがとう」と言った。テレビの中では恰幅の良い中年男性が東北の街を練り歩き、美味しそうにご当地グルメを食べていた。このまま、会話が終わってしまいそうだった。
「でもさ」リサは体育座りのまま、首を捻ってこちらを向いた。「なんで、3Pしていたって、分かったの?」
 その言葉には、悪事が見つかってしまったことへの罪悪感は微塵も感じられず、まるで手品の種がバレたマジシャンが「なんで分かったの?」と訪ねてくるような、好奇心に満ちた質問に近かった。あるいは、かくれんぼをしていて、居場所が見つかってしまった子供が、なんで見つかったの?と目を輝かせて聞いてくるような、純粋な好奇心に満ちていた。
 僕は正直に打ち明けることにした。何故だか解らないが、リサには正直でありたかった。
「盗聴器を仕掛けていたんだ」
 途端に、リサの表情が曇った。眉をひそめ、怪訝な面持ちで体育座りを解いた。
「ねえ、それ、おかしくない?」
 リサは立ち上がり、僕の目の前で両手を腰にあてた。低いソファに腰掛けていた僕は、リサを見上げる形になる。
「盗聴器をしかけていたの?この部屋に?信じられないんだけど。すごく卑劣だし、下劣」とことん嫌気がさしたように、詰めよってくるリサ。僕は困惑した。彼氏の部屋で見知らぬ男2人と交わるのは、卑劣で下劣な行為ではないのか?僕は口をぱくぱくさせたまま、何も言えなかった。
「浜野くん、そういう趣味があったの?音声を聞いて、興奮していたの?そんな趣味があったなんて、聞いてないんだけど」
 こっちこそ、君に複数の男と寝る趣味があったなんて、聞いていない。そして、愛すべき彼女が見知らぬ男に良いようにされている様子を聞いて興奮する趣向など持ち合わせていない。
「ごめん」僕には謝ることしかこの場を収める術を持ち合わせていなかった。
「意味わかんないんだけど」
 リサは完全に機嫌を損ねたらしく、外方を向いてしまった。
「ごめん」追いかけるように、リサの肩に手を置く。
 てっきり振りほどかれると思ったが、リサは僕の震える右手をそっと握り、背を向けたまま言った。
「そんな心配しないでよ。その男たちはアレよね、花火みたいなものよね。一瞬の煌めきで私を喜ばせてくれるの。でも、次の瞬間にはもういないわ。目に見えないの。次の瞬間には存在自体が、もうないのよ。だから浜野くんは何も心配いらないの。でしょ」
 僕は窓の外に映える空を見た。雲ひとつない土曜日の空は青色で、部屋の雰囲気とは場違いなくらいに長閑だった。
 僕が間違っているのだろうか。花火は、目に見える。