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書評や妄想、ショートショート、エッセイなどを書きたいです。基本的にフィクションです。

部屋について ふたりごと

 お題を与えられると、カーペットの染みのように、その一点を中心にジワジワとイメージが広がっていくのですが、テーマを選べと言われると、なかなか難しいものがあります。興味深いテーマとは何か、それは書き切れるものなのか、面白いのか、等々。
 選んだ後のことを気にしすぎて、安易に決められないのでしょうね。自分が選ぶ立場に立たされると、石橋を叩きに叩いて、結局渡らないタイプです。

 

 テーマというほど壮大なものでもないのですが、「住まい」についてここ数日、思いを巡らせています。
 引っ越し、出張、旅行など、様々な部屋に根を張る機会に恵まれてきたのですが、全ての部屋に共通することは、空間が広いと居心地が良いということです。何をそんな当たり前のことを、と思われるかもしれませんが、僕の中で最近になってたどり着いた結論です。
 ベッドの大きさは同じでも、部屋の空間が広いと、それだけで満足度に大きな違いが出ます。不思議ですね。僕にとって良い住まいとは、空間の広さそのものです。広い空間はそのまま、満足感や安心感に繋がります。

 

 そういった意味では、大学3~4年生時に住んでいた下宿先の部屋は、満足感や安心感とはおよそ対極にある、閉塞感に満ちた豚小屋でした。

 

 間取り図に堂々と記載された「六畳」は、体感としては四畳程度でしたし、窓は鉄格子のついた牢獄のそれを思わせるような小ささで、おまけにバルコニーもありませんから、洗濯物を吊るすために、苦労して、屋根に紐を括り付けたことを覚えています。
 壁は湯葉のように薄かったです。隣人の趣味なのでしょうか、重厚なベース音が常々、豚小屋に轟いていました。僕が豚ならストレスでやせ細っていたでしょうが、当時の僕はお金がなかったので、それはそれでやせ細っていました。

 

なぜそんな豚小屋に住んでしまったのでしょうか。

 


 大学2年生の暮れ、僕は引越しを検討していました。通っていた大学では、3年時からキャンパスが変わるため、そのタイミングで住まいを変える学生が多かったのです。
京都の郊外から市内にキャンパスが変わるタイミングでの引っ越し。僕はそれまでの反省を踏まえて、「とにかく大学から近い物件」ただ一点にフォーカスし、物件を選びました。1~2年時は、下宿先と大学に距離があったため、次第に大学に足を運ばなくなってしまったためです。

 

 そして見つけた、おあつらえ向きの物件。なんと、大学から通りを一つ挟んだだけの距離。夢の徒歩30秒です。
「それでは来週、内覧にいきましょう」爽やかな笑顔で、不動産会社の男性スタッフが言いました。今思えば、こやつが全ての元凶でした。

 

 翌週、男性スタッフが運転する車に乗り込み、物件へと向かいました。車内には男性スタッフ、僕、そして他物件の見学のために乗り合わせた母娘の親子一組がいました。
物件までおよそ1時間弱のドライブ。当時の僕は愛想が良かったので、その若い男性スタッフと、助手席から色々な話をしました。好きな音楽は何か、どのような音楽を聴くのか、音楽は好きか、等々。
「え、Radwimps好きなんですか?」
「好きですよー。歌詞、良いですよね!」
 なんて、女子みたいな会話で盛り上がったことを覚えています。

 

 すっかり打ち解けた僕たちは、そのままの勢いで京都南インターを降り、お目当の物件に車を横付けさせました。シートベルトを外そうとした瞬間、先ほどまで「『ふたりごと』が大好き」などとはしゃいでいた男性スタッフが突然、「今からお前に何話そうかな、どうやってこの感じ伝えようかな」なんて神妙な顔になり、こう言いました。
「実は、まだ部屋が空いていないため、中に入れないんですよ」

 

 神様もきっとびっくり!

 

 思わず男性スタッフと物件を交互に、二度見しました。インド人も2度ビックリです。今世紀最大の突然変異ってくらい、態度の豹変したスタッフをまじまじと見つめます。頭の中でリフレインする『ふたりごと』。ここまでの時間はなんだったのか。なんのためにここまで来たのか。野田 洋次郎の歌声が止みません。
時に嘘つかせないで。

 

「まだ住民の方が住んでいるみたいで、内覧できないみたいなんです。ごめんなさい」

混乱で頭がいっぱいでしたが、せっかく仲良くなったこのスタッフ相手に、「時に嘘つかせないで」なんて、そんなセンチメンタルな文句も言えるはずがなく。

 

 うつむく僕。車内にほとばしる緊張感。固唾を飲んで様子を見守る、後部座席の親子。どうか、機嫌を損ねないで、と彼女達の心の声が聞こえるようでした。彼女たちの内覧には、僕もついていくのです。

 

「外の感じだけでも、見ていただこうかと」と、男性スタッフ。
なるほど、焦げたレンガ調の外観は、どことなく大学の校舎に似ていて、親近感が湧く、ってバカ!

 

 当時の僕は(今もそうですが)思考が浅はかでしたので、
「そうですね、外観は可愛らしいですよね」といってその日のうちに物件を契約してしまいました。

 

 この決断は、僕の人生において、カーペットの染みのような汚点となっています。