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書評や妄想、ショートショート、エッセイなどを書きたいです。基本的にフィクションです。

祖母のCEO

昨年の盆、名古屋に帰省した。
数日間を実家で過ごして分かったことは、父親がとんでもなく早起きになっているということだった。
その頃僕は、『21世紀の歴史は朝に作られる」なんて記事を読んだばかりで、早起きしたいなーと、漠然と"願って"いた。なんでも、ナイキのCEOは5時に起床していたり、スターバックスツイッター、その他大多数のCEOはみんな例外なく早起きとのことだったので、僕も早起きしなければ!と発起したものの、朝日が顔を撫でる度にウンウンと唸りながら、布団の端から端を転げる朝が続くばかりだった。

 

父は休日にも関わらず5時半に起きていた。彼は一体何のCEOなのだろうか。
一緒に寝ている愛犬よりも早く起きる父は、もはや猿のようだった。

 

蝉の鳴き声が時雨する8月の夕方、父に「明日、朝9時におばあちゃんと喫茶店に行こう」と誘われた。僕は内心、「え、マジで」と躊躇した。
理由は二つ。一つは朝が早かったこと、もう一つは、祖母と会う”こと”そのものだった。

 

***

 

祖母は、世間のおばあちゃん像のど真ん中を地で行く人だ。
小さい頃はよく、おもちゃを買ってくれた。優しくて面倒見がよく、家に遊びにいくたびに国語や算数を(僕は嫌がっていたのだが)教えてくれたりした。
庭で採れた梅干しを毎年漬けていて、それでつくるおにぎりは絶品だった。手のひらに塩をまぶして握るのだが、塩加減が絶妙なのだ。
笑うと、顔が古紙のようにくしゃっと、皺だらけになる。小さな顔の中で、大きく開く口が印象的だった。

 

僕の実家は祖母の家から歩いて数分の距離にあるので、アメリカに引っ越す小学4年まで、しょっちゅう足を運んでは、梅干しを食べたりテレビを見たり、思い思いにくつろいでいた。祖母は、いつも畳に座布団を敷いて、丸テーブルの横で正座していた。

 

祖母は、父が大学生になっても恋愛を許さなかったという。たまたま遊びに来ていた叔母がそのことを茶化すと、祖母は頬を膨らませて「覚えとらん!」なんて憤慨していた。優しい祖母の意外な一面ではあったものの、古風な価値観の持ち主だったので、特に驚きはしなかった。

 

ワイドショーが好きで、さらにはそこで得た知識を僕たちにひけらかすことが好きだった。
「しょうくん、まりちゃん、湯葉は、とっても頭に良いんだよ。おばあちゃん、3日経っても思い出せなかったことが、湯葉を食べた瞬間に、パッと思い出せたの。湯葉は記憶に良いから、たくさん食べなさい」と、当時小学生だった僕と姉に、3日連続で言って聞かせた。次の日も、その次の日も初めて披露するかのように話すので、さすがに姉はうんざりした様子で、「おばあちゃん、その話、もう3回目だよ」と言うと、祖母は「あれ〜。記憶にないな〜」なんて笑ってごまかしていた。姉はため息まじりに「おばあちゃんこそ、湯葉、食べなよ」とぼやいていた。

 

最初に、僕の就職先を忘れた。笑ってごまかすこともなかった。
その半年前までは、「しょうくんの会社の株価を、毎朝新聞で調べているんだよ」と嬉しそうに話していたのだが、やがて僕が就職していることも忘れ、次第に、祖母の中で僕は大学生に戻っていった。そんな祖母に会うことが、億劫になっていった。

 

***

 

結局、コメダ珈琲には11時に到着した。喫茶店文化の名古屋では、店は常に混み合っている。
合流した母と、祖母、父、僕の4人でテーブルを囲む。木目調に統一された店内は、年配のおば様方たちの会話が飛び交い、弛緩と喧騒が入り混じる空間となっていた。
僕たちのテーブルはというと、途切れ途切れの会話が重苦しかった。祖母だけが、にこやかに顔をキョロキョロとさせていた。
小さい頃、当たり前に丸テーブルの横で正座をしていたように、表情は晴れやかだったが、全体的に侘しい雰囲気が漂っていた。少し痩せたのだろうか。かつては綺麗に整えられた髪の毛も、どことなく乱れているようだった。
モーニングが運ばれる。手をつけたが、その作業は、食べるよりむしろ、片付けるに近かった。僕は時間に、早く過ぎてほしいと願った。

 

「お義母さん、この子、誰か分かりますか?」と、母が僕を指して訊ねた。
やめて欲しいと切に思った。なぜ、こんなにも簡単に、記憶に関する質問を投げられるのだろう。固唾を飲んで見守る中、祖母は自信なさげに答えた。
「ん〜、しょうくん?」
「お〜正解」と父が囃し立てるように言った。
祖母は「あ〜」と顔をくしゃっとさせて、大きく口を開けて笑って喜んだ。手を口に当てて笑う上品な素振りは、「記憶にないなー」なんてごまかすように笑っていたあの頃に似ていた。おばあちゃんこそ、湯葉、食べなよ。僕は堪えきれずに席を立ち、トイレに向かった。

 

トイレの中で、少しセンチメンタルになってしまったのかもしれない。母がもし、祖母のようになってしまったら、と想像を巡らせた。瞬時に、耐えられないと思った。
ふと、先ほどの父の顔が頭をよぎった。どうして父は、あんなに平然としていられるのだろう?

 

トイレから戻ると、父は祖母に、今朝は何をしていたのか訪ねていた。記憶を掘り起こすような質問に、僕は少し嫌悪感を抱いたが、その訊き方には、遠慮や慎みのない、親子のつながりを感じた。
祖母が答えられずにいると、「散歩に行っただろう」と聞いた父が自ら、優しく教えた。
聞くと、運動が脳に良いそうで、毎朝、猛暑の時間帯を避けるために、早朝に二人で散歩をしているとのことだった。その後、喫茶店で朝食を。
「まあ、覚えとらんでな」なんて冗談めかして言える父を、強いと思った。

 

毎朝、愛犬よりも早くに起きる父を思い返した。極度の健康志向がついに起床時間まで蝕んだのかと、てっきり思っていたが、まさか祖母のために早起きしているとは気づかなかった。

 

普段そっけない父が、生活習慣を変えてまで行動する姿は、祖母にどう映っているのだろうか。そんなことを思った瞬間、いろいろな感情が込み上がってきた。
遠慮のない親子の会話だとか、ぶっきらぼうな父が祖母の歩調に合わせて歩く姿だとか、祖母の家のチャイムを押す父だとか、それを待つ祖母だとか、父が押すチャイムを待つ祖母はどんな気持ちなのか、とか。祖母は毎朝、はやる気持ちで父を待ち構えているのだろうか。ガラガラと開かれる引き戸の音に合わせて、畳の上の座布団から足を解く祖母を想像する。柱に手を預けながら玄関に出てくる祖母は、昔と変わらなかった。

 

祖母の歴史は今、朝に作られているのだろうか。その歴史も、二人の積み重ねも、記憶の悪戯によって、紡がれることはないのかもしれない。けど、幸せなんじゃないかな、なんてありきたりな言葉が浮かんできた。きっと父は、祖母にとってのCEOなんだ。