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世界最高のリーダー育成機関で幹部候補だけに教えられている仕事の基本

ヒカリエの前に季節外れの巨大なクリスマスツリーが現れ、薄手のジャケットでは凌げない寒さが底を覆い、駅前に酔っ払いが増えたら、もう師走だ。
 
まだ11月なのだが。
 
縺れる舌ともたつく足元とよれよれの背広が亥時の歩道を埋め尽くすなか、ポケットに手を突っ込んでオフィスから駅へと突っ切って行く日々を繰り返していると、数年前、同じように帰途の最中、色々な悩みや焦りが絶えず渦巻いていた過去の自分を、つい思い出してしまう。
 
おそらく多くの人も経験している感情だと思う。
「自分はこのままでいいのか」「将来どうしよう」「どうなりたいのか」といった、もやもやとした焦燥感。自己嫌悪に押しつぶされそうになりながら、心もとない冷えた帰り道を幾度となく歩いたことを覚えている。
 
ありがたいことに、ここ最近はそういったセンチメンタルな感情に苛まれることは(ほとんど)なくなった。年のせいなのかもしれないが、自分としては一応、それなりに葛藤や苦難を辿ってきたし、達成や様々な経験を経ているわけで、それを単に年月の積み重ねのせいにしてしまうのは、なんとなく虚しい。
 
仕事に忙殺されれば、そんなセンチな悩みなんて顔を出す暇もない、という意見もあるかもしれない。
確かに、息もつかないくらい慌ただしい時期の中ではそのような悩みはなかったように思う。この種の悩みは、余裕のある毎日の中で生じる、心の隙間に巣食う靄のようなものだ。
しかし、忙殺に靄を紛らすその行為は、忙しさと充実感を混合させてしまう、一種の勘違いといった側面も否めない。忙殺の時期がひと段落つくと、得てして強烈な虚無感とも言えるリバウンドが押し寄せてくる。そこで焦燥の渦巻きに飲み込まれるというパターンが割りかし多いような気もするので、そういった意味では「仕事に忙殺されれば悩みなんて生まれないcampaign」は、将来を憂う悩みの根本的解決には至っていない。
 
仕事に忙殺されるほど量をこなせば、大抵の場合、人は成長する、そして成長すれば違う景色が見える、といった意見もあるかもしれない。違う景色が見えるようになれば、将来やキャリアの悩みなんて、たいした問題ではなくなる、と。
果たして忙殺されるほどの仕事量は、人の成長を促すのだろうか。これは仕事の総量を、時間と捉えるか機会と捉えるかの違いだろう。
僕は基本的に長時間労働には懐疑的なスタンスだ。だが、仕事の量がやがて質に転化するといった話は頷ける。なぜなら(自ら)量をこなす人の裏側には、能動的に、主体的に、そして情熱的に仕事に取り組む姿勢があるからだ。情熱がある人は、業務に対して深いコミット意識を持つ。コミット意識を持つと責任感が生まれ、自分の思考や判断に注意深くなる。それはそのまま深い思考力につながる。この繰り返しと積み重ねが加速度的な成長を促す。量が質に転化するするというのはつまりそういうことで、反対に、いたずらに長時間労働を強いても強いられても、そこに情熱がなければ圧倒的な成長、ひいては突き抜けた人材にはなれないと思う。成長によってもたらされる「違う景色」は情熱を持って仕事をした人の特権であって、単に仕事に忙殺されている人には縁のない風景だ。
何より、単純な労働時間が成長につながるというのであれば、世間にはもっと優秀な人がゴロゴロいてもいいはずだろう。
 
 
さて、話を戻すと、僕がそういった「将来やキャリアに対する悩み」に付随する焦燥感をあまり感じなくなったのには、ひとつきっかけがある。
自己認識に注意を払うようになったからだ。自己に対する気付きとも言えるし、自分を見つめる行為とも言える。
自己認識に意識を置くようになったのは、『世界最高のリーダー育成機関で幹部候補だけに教えられている仕事の基本』という本による影響が大きい。
 
曰く、"人は自分の意識下にあることしかコントロールできない”という。逆説的にいうと、自分自身を意識下におけばコントロールできるはず。意識下に置くには、まず自分を知ること。何を知ればいいのか。それは価値観であったり、他人から見られている自分だ。
 
自己認識の大切さを表すエピソードとして本書では下記のようなエピソードも交えている。
 
20世紀最高の経営者とたたえられる前GE会長のジャック・ウェルチ氏が引退した際、多くのインタビューを受けました。〜
メディアからの「ウェルチさん、あなたはなぜ20世紀最高の経営者と言われるようになれたのですか」という質問に対して、ウェルチ氏はたった一言、「Self-awareness」(自己に対する気付き)と答えたのです。
 
現GE会長のジェフリー・イメトル氏も「リーダーシップとは、終わりのない自分探しの旅である」と言っています。
 
自己認識といっても、就活時に行う自己分析とは少し様相が異なる。自分を知るには「自分が認識している自分」と「他人が認識している自分」の二つがあることを知る必要がある。
僕は写真や動画に映る自分が大嫌いなのだが、それというのも、ある種のナルシズムというか、イケていると思ってレンズに収まっていたはずが、どうしようもなく垢抜けないゴミのように映る自分を目の当たりにしたときに感じる、衝撃的な負のギャップにほとほと嫌気がさすからだ。
とはいえ画面に映る自分は、そのまま他人から見られている自分なのだから、周囲からの印象は画面に映る自分、といったことなのだろう。
大切なのはどれだけこの二つ(「自分が認識している自分」と「他人が認識している自分」)を一致させられるかだ。負のギャップにショックを受けている僕はまだまだ自己に対する気付きが弱いということになる。
 
有名なジョハリの窓の話に例えると、自分も他人も知っている自己の「解放の窓」がある。優れたリーダーは解放の窓の領域を広げようと努力する。他人が認識している自分と、自分が認識している自分の領域が広いほど、自己開示が進んでいる証拠だからだ。
 
簡単に「他人から見られている自分」を知るには、単純に他人からフィードバックをもらうことが有効だ。「自分の仕事の進め方についてフィードバックをいただけませんか」と。そして、定期的に振り返りを行う。自分の正体は結局のところ周囲のPerceptionでしかない。
 
自己認識が深くなると、思考の出発点が「このままでいいのだろうか」といった悩みからではなく、「次のチャレンジは何をしようか」といった次に向けての準備から始まる。振り返りを日常的に行う習慣がついているから、「自分はどうしたいか」といった問いかけにはすでに返答済みのステータスになっているのだ。
なんとなく次にやるべきことが見えて来る。そうすると次に向けてのチャレンジの準備も楽しくなるし、なによりワクワクする。
 
残念ながら僕はまだまだその域には達しておらず、周りにフィードバックを求めた際に、「冷たい」といった返答が相次いだ時には心が折れてしまった。
それ以降、フィードバックは求めていない。
 
出典:世界最高のリーダー育成機関で幹部候補だけに教えられている仕事の基本

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