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読書感想文/マーケティング/エッセイなど。基本的にフィクションです。

土曜日の喧騒と日曜日の静寂

「あんたたち、耳を澄ますなんてこと、しないでしょ」と断定口調で言われたことを覚えている。
大学生の頃、スペイン語の講師から言われた言葉だ。
京都の私立大学の1コマを教える彼女は、齢五十を過ぎた白髪の日本人で、どこか変わった人だった。
 
何回目かの授業で、僕が辞書を持っていないことを告白すると、「あんた、辞書を持たずにどうやって今までスペイン語の授業を切り抜けてたわけ?」と驚いて問いただしてきた。
「センスで」と調子に乗った言葉を返すと、とにかくツボにはまったようで、しばらくお腹を抱えて悶絶していた。
しばらく呼吸を置いてから、「面白いわね。座布団一枚あげる」と言い放った時には教室が多少ざわついた。座布団って一体なんだ?
「私の授業では、面白い発言をした人に座布団をあげているの。座布団が10枚溜まると、私とランチに行く権利がもらえるの。もちろん、私の奢り。ただし、こんなおばちゃんと2人でランチなんて嫌でしょうから、友達を1人、連れてくる権利もあげるわ」
もちろん、架空の座布団の話だ。
 
ついに座布団が溜まった人は見たことがない。むしろ、この発言以降、座布団の話は一度も出てこなかった。
 
そんな講師に言われた、冒頭の一言だ。「あんたたちみたいなもんは、いまどき、耳を澄ますなんてことしないでしょう」とやたらと決め付けるように言われたので、ムッとした僕は「ありますよ」と毅然と言い返した。
 
「あら」
「夜な夜な、鴨川のほとりに赴いて、川のせせらぎに耳を澄ましています」と僕は嘯いた。もちろん、架空の話だ。
後ろに座る女子生徒が吹き出す音が聞こえた。しかし、講師は思いの他、関心していたようで、
「あら、偉いじゃない。あなた、偉いわね」と褒めてくれた。
 
 
東京に来てからはどうだろうか。思い起こすと、耳を澄ますといった行為はしていないかもしれない。京都に住んでいた頃は、鴨川の側を歩いて自宅まで帰ったり、寝静まった夜の街を自転車で走り抜くなど、静寂の中に身を置く時間が多かったように感じる。そう思うと、あながち過去の自分の発言は嘘ではなかったりする。
 
土曜日に浴びるほど酒を飲み、声が枯れるほど歌い、鼓膜がビリビリと震えるほどの喧騒に飲み込まれた後の日曜日は、ゆっくりと過ごしてみようかと思う。
熱い紅茶を入れて、大好きな音楽に耳を澄ます。歌手の息継ぎのポイント、裏声と表声が切り替わる転換点、バンドのベース音。歌うことなく、ただただ耳を傾ける。座布団に腰を据えながら。
そんな日曜日も悪くないかもしれない。
 
グレートギャツビーを読んだ。
豪華絢爛なパーティーを連夜繰り広げるギャツビーを思うと、静寂な時間の大切さが身にしみる。