【短編小説】目に見えない③
◆3章◆
「小澤くん、強引だね」リサは呆気に取られたように言った。
「いつもあんな感じだよ」たまに、誘拐なんじゃないのかと思ってしまう。
「マユコ、ヤられちゃうのかな」
「たぶん、ホテルの部屋についたら、小澤は暖房を入れると思う」
「こんな暑い、夏の日に?」
「こっそり、暖房を入れるんだ。で、『なんか暑くね?脱いじゃおうぜ』って言って、自然に脱がせるんだ」
「それ、全然、自然じゃない」
「お決まりの手口なんだ」
「まるで見たことがあるみたいね」
「違うよ。よく、小澤が自慢げに言うんだ」
「浜野くんは、その自慢のおこぼれに預かることはないの?」
「え」突然、話題が僕に降ってきたので、驚いて何も言えなかった。
「まあ、ないよね。浜野くん、オクテだし」リサのその、からかうような、嘲笑うかのような言い方に、僕はむっとして、
「あるよ。何回か」と口を尖らせた。
「いいよ、無理して意地を張らなくたって」
「無理してない。それに、僕はオクテじゃない」
「ねえ、なにをムキになっているの?」
「ムキになってなんかいないよ。本当のことなんだ」
「ふーん」あっそ、とリサ。
「でも今日は、おこぼれに預かれなかったみたいね?」
「まだ、わかんないよ」
「あら」リサは興味が湧いたように含み笑いを見せた。
「どうやって私を誘うのかしら?」
僕は自分の太ももをつねった。柄にも無く強気な発言を繰り返し続けるには、痛みによって脳に興奮を与えておかないと、この勢いを保てないような気がしたのだ。すぐに口籠る癖を抑えるべく、また太ももを拳で殴る。どうすれば良い?どうやって誘えば良いのかなんて、分からない。なんて切り出せば良いのだろうか。逡巡するも、何も浮かばない。何も言葉が出てこない。とにかく何か言わなければ。
「今日は、一緒にいたい」まっすぐにリサを見て、精一杯、自分がこれまでの人生でおよそ言ったことの無い、言わないであろう言葉をあえて選択した。
「なによ、それ。つまんない」リサは気分を害したようで、ツンとした顔でローテーブルのグラスを取って飲んだ。僕への興味も氷と一緒に飲み込んでしまっているようで、僕は自身の相変わらずのふがいなさと情けなさに憤りを感じた。
なぜ、小澤のようにうまくいかないのだろう。自分でいうのもなんだが、小澤よりかは、僕の方がみてくれは良いはずだ。なぜ、僕だけいつも失敗して、小澤は成功するのだろう。
薄いグラスの縁に唇をつけたまま黙ってこちらを伺うリサのもの言わぬ目を見て、僕はなにかひらめくようなものを感じた。もう、小澤の真似をすればいいじゃないか。我儘に、強引に。嫌われたらどうしようとか、相手にどう思われるとか、自分を良くみせようとか、どうでもいい。僕は彼女のことが苦手で、実を言うと強烈に魅かれていた。静かに生える恐れや不安の芽に蓋をして、僕はリサの腕をつかんだ。
「ちょっと」突然、腕をつかまれたリサは驚いたが、強く抵抗しなかった。僕は一万円札をテーブルに叩き付け、カウンターの側に立ち尽くしていた店員にお釣りはいらないと告げ、リサを引っ張って店を出た。すぐにタクシーを捕まえて乗り込み、「円山町まで」と運転手に短く言い、以前に小澤に教えてもらったホテルへ入った。
その間、リサは何も言わず、抵抗もせず、握られた手をほどこうともしなかった。僕は左手を口に当てて、心臓が飛び出るのを堪えた。精一杯の強がりは、震える右手からリサに伝わってしまっていたのかもしれない。リサは、手をほどこうとしなかった。
部屋に入ると、電気を消すのも忘れて、僕は夢中でリサの唇にむしゃぶりついた。こんなにも昂ることができる人間だったのかと、自分に驚いた。体を絡めたままベッドに倒れ込み、覆い被さるように強く抱きしめて、首筋に音を立ててキスをした。唇の淫靡な破裂音がシンとした室内に響くと、僕はどうにも止まらなくなった。
乱暴に服を脱がせ、リサを生まれたままのあられもない姿にさせると、端正な顔つきとは対照的に、不完全な、崩れた体型があらわになった。豊満な乳房は張りが無く重力に忠実で、お腹には横線がいくつか走り、脇腹は赤ちゃんの頬っぺたのようにぽってりとしていた。
不意を突いて現れた、そのだらしない肢体に、僕はひどく興奮した。そのとき、僕は頭にミロのヴィーナスを思い描いていた。欠落の持つ魔性が、不完全さにみる美学と相まって、存在しうる至上のものとして僕を惹き付けてやまなかった。
「はずかしい」と、吐息に紛れた、くぐもった声を洩らしたときに、この女性には男性を昂らせる天性の美しさと淫逸さが秘められているに違いないと、直感したことを覚えている。
値の張りそうな銀色のネックレスが、汗ばんだ鎖骨の上で動きにあわせてゆらゆらと揺られていた。それは、目を閉じて恍惚とした表情を浮かべるリサの体を妖しく照らしているようだった。
続く