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読書感想文/マーケティング/エッセイなど。基本的にフィクションです。

叫び声

「することないなら、ワクワクすればいいんすよ」とは、職場の先輩の言葉です。
自分の青春がどのような時代だったかを振り返ると、大概、根拠もなくワクワクしていたような気がするのですが、気持ちを昂ぶらせるだけで満足する、実態の無い妄想が一人歩きしていたような時期だった気がします。

 

「青春とは、自分だけには特別あつらえの人生が待っている、と無根拠に思っている時期のこと」とは三島由紀夫の言葉ですが、まさに僕がその体現者でした。自分は特別で、いつか自由に風を操る能力を手に入れる日が来るんだ、と。

 

大江健三郎の『叫び声』を最近になって読みました。特別の出来事を経験してこなかった主人公が、不穏で奇妙な生活に巻き込まれていくのですが、二十歳の僕も、いつかそんな「普通ではない」生活に呑まれたい、と思いながら日々を過ごしていたように思います。知らず知らずのうちに、平凡な生活にコンプレックスを抱いていたのかもしれません。

 

自分にはそんな特別あつらえの時期などなかったように思いますが、人との違いがあるとすれば、海外での生活でしょうか。思春期にアメリカに6年間暮らした経験こそ、自分は特別だと思い上がらせた要因の種かもしれません。

 

小説の主人公がヨーロッパへ旅行にいく場面があるのですが、僕も高校一年生の夏に、父の住んでいたイギリスを訪れたことがあります。

 

貧乏故に陰鬱な旅行を辿った主人公のように、(愚かにも)当時の僕も、家族との移動と、毎度現れる同じ景色に辟易していた記憶があります。思春期には、綺麗な景色は刺さらないのでしょう。

 

そんな中、強烈に印象に残っているのはエジンバラに宿泊した際に出会った、ホテルのフロントの女性でした。金髪にターコイズブルーの瞳、軽薄さを微塵も感じさせない上品な佇まいは、息を飲むほどにシャリーズ・セロンでした。

 

あまりの美しさに、朝食時、ビュッフェを食べながら、柱を死角に、フロントの方を何度も盗み見してしまいました。そして、なにをトチ狂ったか、僕はフロントまで赴き、彼女に「写真を撮らせてください」とお願いしたのです。

 

まさに大胆不敵。

 

まるで、ペプシ・コーラの広告契約に関する記者会見の席で、レッドブルをちびちび飲むブリトニー・スピアーズのような、大胆不敵さでした。
今振り返ると自分でも、なぜあんな行動を取ったのか理解できません。

 

女性は瞬くように驚いていたものの、笑顔で快諾してくれました。
今振り返ると、よくOKしてくれたな、と思います。
今は懐かしい二つ折りの携帯電話でパシャりと撮影し、お礼を言うと、彼女の返事は綺麗なイギリスアクセントの英語でした。

 

まるで小説のワンシーンを切り取ったような、少し現実離れした出来事に酔ってしまったのか、帰国してからもしばらくの間、僕は彼女の写真を携帯電話の待ち受け画面に設定していました。

ひょんな拍子に、同級生の女子に待ち受け画面を見られたことがありました。待ち受け画面というほどですから、携帯電話を開けば当然、目に入ります。
目敏い女子はケータイのそれを見逃さず、「ちょっと待って。今の、誰?」と聞いてきました。
恐らく海外芸能人の誰々、といった答えを期待していのかもしれません。
僕は、「旅行先のホテルで働いていた女性」と答えました。女子は、「え、キモ」と本気で引いていました。
そうか、旅行先のホテルで働いていた女性を待ち受け画面に設定をするのは、キモいのか、と、身に沁みて感じたことを覚えています。

 


ADIDASって、なんの略か知ってる?All Day I Dream About Sho,だよ」とは友達の言葉です。そうか、毎日夢に出てくるくらい、僕は特別なのか、と妙に納得したことを覚えています。中学生の時です。

 

さて、これまで特別な出来事のない日々を過ごしてきましたが、だからと言って、自分が特別じゃないと決めつけてしまうのは尚早かと思います。
自分は普通だ、特別なんかじゃないと決めつけた瞬間に、何かこう、エネルギーがポッキリと折れてしまいそうな気がするのです。

 

今もこれからも、自分は特別だと勘違いしていこうと思います。
なるほど、三島由紀夫の言葉を借りれば、僕は今も、青春の時期にいることになります。

 

今週のお題「読書の夏」 

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