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読書感想文/マーケティング/エッセイなど。基本的にフィクションです。

【書評】サラの柔らかな香車 (橋本長道)

感想
 
第24回小説すばる新人賞受賞作。
第23回受賞作の『国道沿いのファミレス』読了後にも思ったが、
朝井リョウの『桐島、部活やめるってよ』と同じ賞を受賞したレベルにある作品とは思えない。
 
天才、才能とは何か。壮大なテーマを求める姿勢は面白かったのだが、
著者なりの答えが腹落ちするまで描かれているようには思えなかったし、
その正体も、結局は才能を持たない者の視点からしか描かれていないように見えてしまった。
 
将棋というモチーフにふさわしい言葉遣いに襟を正そうとしていたが、
いかんせん文章力が著者自身の求める”格式の高さ”に追いついていなかったように見受けられた。
単語の選び方ひとつをとっても、正座に慣れていないようなぎこちなさが目に映える。
構成の試みや将棋界の描写等は面白かっただけに、勿体ないところでどうにも気になってしまった。
 
著者自身が奨励会に身を置いていた経験から、
将棋の説明や業界にいた人間にしか分からないような
独特の空気感のようなものを拾い上げて読者に伝えてくれた点は、非常に参考になった。
もちろん僕は将棋界に根ざしたことはないのだが、
恐らく関係者の方々は随所で「あるある」と感じていたのではないだろうか。
 
 
まとめ
個人的に面白かったのは、著者が将棋で培ったであろう論理的な思考が随所で散見されたところだ。
○○は○○をした→なぜ?→○○だから。→なぜそう思ったか?→○○のような体験があったから→なぜ…
といった具合に、登場人物の行動に裏に隠されている動機や理由を、
質問を先回りして答えるかのようにきちんと筋立てて書かれてあるところに、
著者の律儀な人間性のようなものが垣間見えて面白かった。
 
 
あらすじ
プロ棋士になる夢に破れた瀬尾は、毎日公園に一人でいる金髪碧眼の少女サラに出会う。言葉のやりとりが不自由な彼女に対し、瀬尾は将棋を教え込む。すると、彼女は盤上に映る”景色”を見る能力を開花させ—。
将棋に新たな風を送るサラ、将棋に人生を捧げてきたスター・塔子、数多の輝く才能を持つ七海の三人を巡り、激しくも豊かな勝負の世界を描く青春長編。

 

 

人間みたいな神様...【書評】いちばんわかりやすい北欧神話 (杉原梨江子)

概要

古代の北ヨーロッパ・ゲルマン世界で育まれた神々の物語は、

アイスランドで『エッダ』『サガ』として豊かに保存され、

欧州各地の数々の文学作品の礎となった。

 

北欧神話と僕 

ロードオブザリングが一番有名だろうか。

北欧神話は数々の映画やゲーム、小説などの原点となっているので、常々、きちんと読んでみたいと思っていた。

 

北欧神話については以前に小難しい内容の本を買って読んでみたのだが、

僕の理解力ではいささか小難し過ぎたので数ページだけ読んだ後に寝かせてしまっていた。

 

そんな折にたまたま書店で見かけたのが本書。

題名通り「いちばんわかりやすい」と銘打っていたので、

れなら読解力の乏しい僕でもなんとか分かるだろうと思って手に取った次第である。

 

感想

非常に分かり易かった。

記憶力の乏しい僕のために同じエピソードを何度も織り交ぜて

全体を俯瞰して説明してくれたおかげで、

北欧神話の概要をなんとなくつかめたような気がする。

 

ご丁寧に神々の関係図まで挿れてくれているので、本当に分かり易い。

たまに散見される著者の意見が根拠に基づいた学術的主張なのか、

単なる主観なのか分かり兼ねる部分があったが、入門としての北欧神話や、

触りだけを学ぶのであればおすすめだ。

 

日頃慣れ親しんでいる曜日のいくつかは神々の名前から取られた名称とのこと。火曜日【Tuesday】は戦いの神テュールの日、水曜日【Wenessday】は主神オーディンの日、木曜日【Thursday】は雷神トールの日、金曜日【Friday】は愛と豊穣の女神フレイヤの日。

 

 

神話の中でのみ躍動する、遠い存在のはずの神々が、

こうして僕らの日常に根付いている事を思うと、実に神秘的な気分になる。

とたんにファンタジーが現実世界に紛れ込んできたような、

初めてプレイする大作RPGの画面に見入っている瞬間のような昂揚感が沸き起こる。

 

神々について

神と呼ばれ、崇拝や畏怖の対象となっているものの、

彼/彼女らの性格や行動は欲望に忠実で、いたって人間的である。

寝ている人の髪の毛をばっさりと切り落とすイタズラを仕掛けたり、

欲しいもののために好きでもない男と寝る事を厭わなかったり。

自分に忠実で、気持ちのいいほど本能のままに生きている。

 

神話ならではなのかもしれないが、

所々矛盾点があり、理解に苦しむ関係図もあった。

 

例えば、巨人とアース神族は仲が悪いのに、

巨人のロキはアース神族の主神オーディンと多くの行動をともにしている(ように見える)。

こういったものは神話を勉強して、

深堀を続けて行けばいずれきちんとした説明にたどり着くのかもしれない。

 

まとめ

北欧神話は最終戦争であるラグナロクへ向かって進んで行く。

神々と巨人との生死をかけた壮絶な戦いにより、

主要な神々はすべて滅んでしまう運命にあるのだ。

しかも神々はさまざまな前兆的な出来事や予言により、

自分たちの未来に死が訪れる事を知っている。

 

回避しようとしても抗えない運命がそこにはある。

悲劇的未来を受容する生き方が「滅びの美学」を貫く神話といわれる所以なのだろう。

 

アイスランドには、魔術として北欧神話の中で使われていた

ルーン文字」の一部が今も実際に使われているという。

 

魔術、神々、ラグナロク。滅びの運命にある物語には、

どこか刹那的な生き方を感じる。

北欧の人々は自然の厳しさとの戦いを、

神話に置き換えて今日まで残してきたのかもしれない。

 


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【書評】バイバイ、ブラックバード (伊坂幸太郎)

あらすじ

星野一彦の最後の願いは何者かに<あのバス>で連れていかれる前に、
五人の恋人たちに別れを告げること。
そんな彼の見張り役は「常識」「愛想」「悩み」「色気」「上品」ー
これらの単語を黒く塗り潰したマイ辞書を持つ粗暴な大女、繭美。
なんとも不思議な数週間を描く、おかしみに彩られた「グッド・バイ」ストーリー。
  
本書は「ゆうびん小説」という珍しい方法で発表された作品とのこと。
毎回抽選で選ばれた五十名の読者に、一話が書き上がり次第レター形式で
印刷された作品が郵便で送られるという、本邦初の試みだったらしい。
 
また、本作は太宰治の未完にして絶筆となった「グッド・バイ」へのオマージュ作品でもある。
「グッド・バイ」の基本設定である「何人もの女性と同時に付き合っていた男が、
その関係を清算するために、全く恋愛関係になかった女性の協力を得て、
一人ひとりを訪ねて歩く」というところはそのまま踏襲されている。

 

感想

僕は伊坂幸太郎の大ファンで、彼の著作はほとんどと言っていいほど
読んでいるのだが、本書はこれまでの作品と違う趣が楽しめた。
5股をかけた主人公(星野)が<あのバス>に連れ去られる前に
5人の女性に別れを告げてまわるストーリーを、1話完結型で
5回に分けて描いているのだが、これが、回を追うごとにどんどん面白くなっていくのだ。

巻末のインタビューで著者は自身の作品の面白さを、こう分析していた。

伊坂作品の、ちょっと変わったキャラクターがいてそれに振り回される人がいて、登場人物達のやりとりが楽しくて、いろんなところに張ってある伏線が少しずつ繋がっていき、要所要所で「ああ、そうなんだ」とはっとする感じ。

自身の作品をこれほどまでに客観的に見れているなんて!
世間が求める伊坂幸太郎作品を的確に知りつつ、
それを書くことに楽しみを覚える。まさに生粋の作家なのだな、と感心してしまった。

そして、その伊坂イズムというべき面白さは
本書にもいかんなく発揮されている。


繭美の破壊的なキャラクター(マツコデラックスを想像された人も多いのでは?)

は主人公の星野くんを振り回すし、
かと思えば純粋すぎるほどに素直な主人公の星野くんは様々な女性を(意図せず)振り回している。
星野くん(君付けで読んでしまいたくなるようなキャラなのだ)の人柄も、
回を追うごとにどんどん魅力的に映ってくる。
その素直さゆえに、ついつい5股の関係に陥ってしまったことも、致し方ないように思えてくる。
 
 
まとめ
これまでの著者の作品にはそれぞれ、分かりやすいテーマがあった。
しかし、この作品はどうだろう。上記の伊坂イズムは随所に見られつつも、
本質的なテーマがなかなか見当たらない。
けれど、存在しないわけではない。見つけにくいだけなのだ。

もしかしたら、ラストから、読者一人一人の物語が始まることが、テーマなのかもしれない。
この小説が(ゆうびん小説とあるとおり)文字通り読者への手紙なのだとしたら、
この小説を発端に、読者ひとりひとりの何らかの物語が始まっていく。
例えば、繭美が主人公を助け出す、という物語が読者ひとりひとりにあってもいい。
 
 
刺さった一文 

「別れたくないからね。別れても、別れないんだから」

石原さとみに言われたい!!

 
 


Amazon.co.jp: バイバイ、ブラックバード (双葉文庫): 伊坂 幸太郎: 本

 

暴力の正体とは?【書評】限りなく透明に近いブルー(村上龍)

概要(あらすじ)

 

米軍基地の町・福生のハウスには、
音楽に彩られながらドラッグとセックスと嬌声が満ちている。
そんな退廃の日比の向こうには、空虚さを超えた希望がきらめくー。
 

感想

福生のハウスとは、福生市にある米空軍横田基地周辺にあった(元)米軍住宅だという。
戦後、ハウスは安く借りられる広々とした一軒家として芸術思考の若者を惹き付けた。
治外法権時代に開かれていた乱交パーティーの文化はそのまま残ったと言われる。
 
そんな環境に羨ましさを覚え、
本書の至る所で展開される卑猥な行為に興奮を覚え、
読み終えた後に全身を凌辱されたような感覚を覚えた。
みぞおちに肘を打ち込まれたように、体中がぐったりとするのだ。
 
何故だろう。
ひとつに、この作品が暴力を延々と描いていることがあると思う。
 
”衝撃”とはこの、村上龍のデビュー作の慣用句として多々用いられるが、
僕は”乱暴”という印象を受けた。
 
雑という意味ではなく、暴力的に乱れているのだ。
 
私刑や恋人への暴行シーンはもちろん、
目の前で起こる暴力を淡々と眺めるだけの主人公リュウの態度そのものも、ある種の暴力にうつる。
セックスの描写ですら、痛々しいと感じてしまう。
著者が描くセックスとは暴力なのだと思った。
 

暴力の正体

なによりも暴力的なのは著者の語り口だ。
彼のエッセイや69にしても、その訴えかける語り口はひ弱な僕にとっては一種の暴力だ。
 
そしてこの語り口こそが、読後の疲労感の主な原因なのかもしれない。
兎にも角にも、文章が読み手と共鳴してしまうのだ。
自分が物語に乗り移ったかのように、あるいは物語が自分に乗り移ったかのように、
ひしひしと登場人物の痛みを感じてしまう。
 
暴力と共鳴。
 
ただ、思うに、もっとも暴力を被っているのは著者自身なのかもしれない。
主人公リュウがドラッグを摂取した際に見せる錯乱した様子の描写は、
自身がラリった経験がないと描けるものではないと思う。
そういった意味に加えて、前例のない文体や退廃する生活への憑依など、
この本は著者が命を削って書いた小説なのではないか。 

刺さった一文

ラストのシーンに、印象的な一文があった。
 
 
これまでずっと、いつだって、僕はこの白っぽい起伏に包まれていたのだ。
中略
そして自分でこのなだらかな白い起伏を映してみたと思った。
僕自身に映った優しい起伏を他の人々にも見せたいと思った。
 

 

これこそが、著者が、あるいは著者に限らない大半の作家が
小説を書いている理由だと思った。
 
綺麗だと思った景色を、そのまま誰かに見せるだけでは満足できない。
自分の中に映った、自分のフィルターを通した景色を人に見せたいから小説を書いているのではないだろうか。
 
 
なお、本書の当初の題名は「クリトリスにバターを」であったが、露骨な性表現のため改題したとのこと。
 
 


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【書評】透明ポーラーベア 伊坂幸太郎

繋がってるね、とは、mixiの昔のCMの印象的なセリフで、

数年後にLINEが同じ趣向のCMを打ったけれどもオレンジのそれほどには印象に残らなかった。
あくまで個人的な印象に過ぎないが。
 
1対1のメッセージで繋がることより、1対Nで繋がることの難しさを人々は認識している。
それぞれに都合があり、タイミングがあり、気分がある。
そんな勝手で複雑な関係が何かに導かれるように一同に介した時、その稀有さに「繋がっている」と強く意識するのかもしれない。
 
 

感想

本書も、見えない何かに導かれるように主人公の優樹と姉に関係する面々が同じに日に、同じ場所に集う。
主人公は繋がっていたことを実感し、そして繋がっていることに安堵する。
僕はそのつながりを「今」という表面的なものではなく、
過去にも未来にも物差しを向けられる、奥行きのあるもののように感じた。
 
伊坂幸太郎作品の素晴らしさにユーモラスな会話とキャラクターの魅力があるが、
作中に一度も現れない(主人公の)姉にこれでもかというくらい、引き込まれた。
本書は「I LOVE YOU」という男性作家による恋愛オムニバス単行本に収録された短編なのだが、
短編にも関わらず至る所にしっかりと伏線が張られている。
 
今回の作品では登場人物の表情や目線の動きの描写で
何かを伝えようとしていた点が、これまでの作品と比べて新鮮だった。
主人公の姉の元カレの富樫さんがまっすぐに猛獣園の看板を見ていたり、
初めて芽衣子さん(富樫さんの彼女)と富樫さんが目を合わせたり。
それらの行動のひとつひとつに、二人の動物園訪問の意味が隠されていたことに後々気付くことになる。
 
「私たち、シロクマに会いに来たの。」
主人公と千穂(主人公の彼女)と遭遇した際の、芽衣子さんのセリフの意味は最初はわからなかったけど、読み終えたあとに理解できた。
2人はお姉さんに挨拶しにきたのだ。だからこそ、結婚に迷っている。
 
 

まとめ

富樫さんと芽衣子さんの外見描写はきちんとなされているのに、
優樹(主人公)と千穂(主人公の彼女)の描写がないのは、
繋がってるというキーワードから、読者に主人公たちの内面にフォーカスさせるために、
あえて外見のイメージをつけなかったのでは、と勘ぐってしまう。
千穂の人間性は会話の節々から十分に伝わってきて、外見を描く必要がないくらい魅力的だ。
 
作中ではいくつかのキーワードが登場する。
繋がってる、答え、成田山ホッキョクグマ、姉、宇宙人。
これらのキーワードが絡み合って、繋がってるという結論にたどり着く。
 
その淡々とした過程が美しかった。
 
 

刺さった一文

終盤の一節に酷く心を掴まれた文章がある。
 
その演奏が映画のクライマックスさながらに響いて、周囲を全部包み込んだ。そのせいか、花束を渡した冨樫さんと、花束をもらった芽衣子さんが無言で身体を寄せ合う光景が、とても美しい場面に見え、僕は思わず息を飲む。
 
軽やかな文体で織りなす作品の終盤に、それまでの伏線をミルフィーユのように重ねて、
畳み掛けるように五感全てを使って想起させる花火のシーンは、
その情景を切り取って額縁に飾りたいくらいに絵画的要素の濃い場面だった。
 
軽い気持ちで手に取った短編にここまで心を動かされるとは思っておらず、
ついつい続けて読み返してしまった。
 
 

あらすじ

シロクマは姉が好きだった動物だ。3年前、カナダで行方不明になった姉が。僕は偶然、動物園で姉の最後の恋人に出会った。「姉の彼氏」群の中では一番好感を抱いていた人だ。僕たちはなんとなく流れでダブルデ-トすることになるが…。話題の恋愛アンソロジー『I LOVE YOU』収録の珠玉短編、伊坂幸太郎が紡ぎ出す人と人との繋がりの奇跡。
 

 


Amazon.co.jp: I LOVE YOU (祥伝社文庫): 伊坂 幸太郎, 石田 衣良, 市川 拓司, 中田 永一, 中村 航, 本多 孝好: 本

【妄想】早起き

早起きがしたいです。でも、結局今朝も起きられず。
起きようと頑張るのですが、うんうんと唸るだけでアマレスラーもびっくりするくらい布団の上で寝返りをうって終わるだけ。
「もう、起きなきゃでしょー」と布団越しに体を揺すって起こしてくれる石原さとみをずっと待っています。
だめですね。きっと前世はヨーロッパ大陸の地主だったんだと思います。
甘えちゃうんですね、朝に。というより、自分に。

どうやったら早く起きられるのでしょうか。
以前、とあるお坊さんに質問したときに、「すごくシンプルですよ、早く寝れば良いんです」と言われました。で、早く寝てみたんですけど、早く起きられないんですね、これが。

本当に不思議で。
 
1時に寝ても11時に寝ても起きるのは結局、8時なんですよ。
7時間睡眠で足りると考えれば、1時に寝れば8時に起きて、11時に寝れば6時に起きられるはずなんですけど。
不思議です。起きられない。
もう、全然シンプルじゃないんですよ。
人生はSimpleじゃないんです。
誰だ、シンプルに生きようとか言っているのは。
もう、不思議でいっぱい。
そりゃあ、人生がシンプルだったら良いなぁとは思うんですけど、
みんながみんなシンプルに生きていたらつまんなくないですか。
ゲームだって多少難しいから攻略のしがいがあるのであって。シンプルだったら面白みがなくて大半が途中放棄ですよ。人生の途中放棄はつらいですよ。つまり自殺ですからね。
こういう、理屈で説明できない不思議な出来事が人生を面白くしてくれのではないでしょうか。

何の話だっけ。

早起きがしたいです。哀川翔には勝てなくてもいいけど、太陽には勝ちたい。
なんで早く起きたいかというと、まあ、某スターバックスのCEOが早起きだったりとか、
21世紀の歴史は朝に作られるとか、某ナイキのCEOは早起きだとか、全部同じ記事なのですが。
http://lrandcom.com/why_starbucks_ceo_get_up_four_thirty_in_the_moring

啓発系に感化されやすいんです。

あと、強いて言うなら、先日実家に帰ったら父が超絶早起きになっていたとかですかね。
5時45分に起きているんですよ。お前はなんのCEOやねんと。

僕は実家では床に布団を敷いて寝るスタイルなのですが、朝になると愛犬がカツカツとやってきて
ぺろぺろと寝ている僕の顔をぺろぺろするんです。ぺろんちょって。おま、やめろよーって感じで、もう超可愛いの!もう石原さとみなんていらない!
僕はそんなスタイルで愛犬に起こされるのですが親父はむしろ愛犬より先に起きています。
動物より起きるの早いの。もはや猿。しかも土曜日も日曜日も。

で、僕が東京に帰る日に、祖母含めて両親とお茶をしたのです。
コメダコーヒーで。そこは残念ながらスターバックスでなく。
名古屋の人はどうしてみんなコメダで涼もうとするのかな。

祖母は認知症が進んでいて、今朝のこともあまり覚えていないようで。
だからもしかしたら僕のことも覚えていないんじゃないかなーと思いつつ、それを確かめる勇気もなく。
クサいモノには蓋をせんとばかりに適当な話で時間をつぶしつつ、
出てきたアイスクリームも食べるというより片付けるに近い緊張感の中、
「この子は誰か分かりますか?」と僕を指差して母が祖母に尋ねたときはドキドキしましたね。
嫌な汗が止まらなかったもん。ぶっ込みすぎでしょーと思いながらも
「分かるよ、しょうちゃんでしょ」と祖母が言ってくれたときは安心しました。
「話があるんだけど」って彼女に呼び出されて「話って何?」って平静を装いながらアイスコーヒーのストローを口元に運ぼうとして、でも手がぶるぶる震えているから四方に水滴飛ばしながら相手の話を待って「引っ越そうと思ってるんだけど、どこが良いと思う?」とか言われて、なんだ別れ話じゃないのかとかあのときの浮気がばれたのかと思ったとか余計なことを口に出そうとするくらいには安堵しました。

なんでも認知症の進行を遅らせるには散歩と会話が良いそうで。
それで、父は毎週末、朝早くに起きて祖母と二人で公園まで散歩し、喫茶店で朝食を食べるのだとか。
それを聞いた瞬間、いろいろな感情が沸き上がってきて、親子愛だとか、普段そっけない父が生活習慣を変えてまで行動する姿だとか、父が押す玄関のチャイムを待つ祖母だとか、その祖母は父の行動をどのように感じているのだとか、そういった二人の積み重ねももしかしたら病のせいで忘れられてしまうのではないかとか、父に対しても祖母に対しても色々な感情が破裂する気泡みたいにぷつぷつと沸き上がってきて、つまり、祖母にとっての石原さとみは父になるわけなんだな、と沸き上がる感情がまとまった瞬間、なんだか二人を羨ましく思いました。
 
 
 
基本的にフィクションです。

【書評】男ともだち 千早 茜

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関係のさめてきた恋人と同棲しながら、遊び人の医者と時々逢いびき。仕事は順調、でも何かが足りない――29歳、京都在住のイラストレーター神名葵。

彼女の日常に七年ぶりに舞い戻ってきた、大学時代の先輩ハセオ。互いに恋人がいても、なぜかいつも一緒にいた相手。理解しあう必要もないほどしっくりくる、男ともだち。

男ともだちは恋人じゃない。彼らには親密に付きあっている女たちがいるだろう。でもひょっとすると、男ともだちは女にとって、恋人よりずっとずっと大切な相手なのではないか。いつまでも変わらずに、ふとした拍子に現れては予想もつかない形で助けてくれる――。
29歳、そして30歳。
仕事と男と友情の、熱くてほろ苦い日常を描いた傑作長編小説。
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何も言わずにそっとこの本を手渡したい人がいる。何人かいる。
僕は異性の友達(僕の場合「女ともだち」)に対して
あっぴろげに恋人の話を広げて、価値観をぶつけあい、性の癖をばらしていく行為を多分にする。
同性のともだちとも似たような話をするのだが、女ともだちとのそれとは何かが違う。
 
僕にとっての女ともだちが、手を握ることも、一緒に寝ることも特に厭わない関係だからなのかもしれない。
ただしそこに恋愛感情は介さないし、キスもなければしセックスもない。
ただゆったりと肌に触れ合える関係が心地良いのだ。
同じ友達でも、「男ともだち」と「女ともだち」で求めるものは異なる。
端から見たら恋人と勘違いされるある種の危険な距離感こそ、僕の中での女ともだちであって、
それこそが本書に登場する神名とハセオの関係なのかもしれない。
 
セフレでも恋人でもない。
体の関係は無いし、恋愛感情もない。
友情は…微妙なところだが、どこか違う気もする。
「大切に思う」という気持ちこそ沸き上がってくるものの、いかんとも形容しがたい。
この感情というか関係に当てはまる名前があれば命名したいところだが
いまのところ「女ともだち」という言葉がしっくりくる。
だからこそ、本書の題名も「男ともだち」なのではないだろうか。
命名するのは簡単だが、共感は得にくい。
 
手を握ることも一緒に寝る事も厭わない。
心と体は切り離せないから、そばにいてくれると、とてもやすらぐ。
こういった僕の考えが特異なことだと承知しているし、
なかなか周囲に理解してもらえないのも仕様がない。
同様に、神名もハセオとの関係を周囲に訝しむように見られていた。

本当に大切な人だからこそ、セックスをしないという考えが僕の中にはある。
本当に大切な人、好きでたまらない人とはセックスをしたいとはあまり考えない。
 
別に性欲が無いわけではない。
むしろ人並み以上にあるかもしれない。
ただし、むらむらとわき上がるセックスへの衝動は恋人にも女ともだちに対しても起きず、
それ以外の女性に対して湧き上がる。
 
ハセオもそんな気持ちをどこかに持っていたのかもしれない。
神名とはセックスをせず、恋人を作らず、不特定多数の女性と関係を持つ。
 
僕は女ともだちになり得る人と出会うと、いつも同じ感情を覚える。
この人とはともだちになっていくのだろう。
これからお互いの家に泊まることもあるだろうし、一緒に寝ることだってある。
けれども、恋人にはならないし、セックスだってしない。
恋人にしたくないわけでもないし、性的な魅力がないわけでもない。
 
女ともだちとのセックスを想像しないわけではないが、ムラムラと興奮する類のものではない。
この人としたらどんな感じなのだろうな、という意味での想像だ。
いつも前を通るあの店はどんな雰囲気なのだろう、くらいの感覚。
 
衝動が沸き起こらない。ただ、ゆったりと触れ合っているのが心地よい。
 
本書を読んでそんな自分の癖とでも言うべき感覚を改めて思い返した。
そして、自分の中での「女ともだち」の輪郭がさらにぼやけたような気がした。
神名とハセオのような関係は、周囲には理解されにくいし、説明も難しい。
「そんなもんなんだよ」と空気のようにあしらうしかないのかもしれない。
 
本書についての書評を調べていると、とある座談会の中に
これ以上ないぴったりの言葉が見つかったので、そちらで締めくくりたいと思う。
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あのふたりの関係を見ていると、
SEXをする男女の関係なんて色褪せて見えてしまう。
だって終わりが見えるし、すぐに変質していくし、
打算的な感じがする。
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基本的にフィクションです。
 


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