諦め
2月は7月ではないし、手に入れることと、諦めることは、別問題だ。
しかし、優しさは違う。
何かを諦めると、漏れなく優しさが手に入る。
それは焦燥のトンネルから抜け出すことで得られる、一時的な解放感かもしれない。
脇道にある、タバコの休憩所でたむろするときの、無力感に似ているのかもしれない。
(僕はタバコを吸わないが)
それでも、優しいことは、良いことだ。
優しさを手にいれると、当たり前のことだが、優しくなる。
自分にも、他人にも。
もう一度トンネルに戻ったとしても、これまでの自分とは違う態度で、臨めるように思えてくる。
2月の僕は焦っていた。
焦りは怒りを生み、怒りは動機を与える。
理想の姿と、現状の姿とのギャップに僕は怒りを覚えるタイプだ。
そしてその怒りこそが、仕事を遂行するモチベーションになっていた。
7月、僕は怒りを諦めた。
対峙するでもなく、向き合うでもなく、付き合うでもなく。匙を投げた。
するとどうだろう、穏やかで平穏な心を手にいれた。
周囲への刺々しい態度は萎れ、自己防衛の弁論はどうでもよくなり、他者の言い訳もどうでもよくなった。
後ろ向きな言い方かもしれないが、僕はこの変化をポジティブに受け止めている。
優しいって、平和なことだ。
もちろん「このまま」で良いとは思っていない。
また、トンネルに戻らないといけない時は来る。
仕事を続ける以上はトンネルと光との往復だ。今は横穴から抜けて、光を浴びているだけなのかもしれない。
それでも、優しさを身につけてから戻るトンネルは、以前より少しくらいは、明るく見えるはずだと、期待している。