Photograph
大好きな写真がある。
父が、まだ赤ちゃんの頃の弟を、川辺で不器用に抱きかかえている写真。
小さな体の脇の下を、両手で挟むようにして掬い上げる父の顔はぎこちない。
痛いのか怖いのか、弟は顔をくしゃくしゃにして泣いている。
写真の中では、父はいつまでたっても子育てに慣れない。
誰も弾かなくなった大きなピアノの上に鎮座するその写真立ては、
実家のリビングに帰ると、真っ先に目に飛び込んでくる。
その隣に、グランドキャニオンを背景に家族5人が収まる写真と、
さらに隣に、若かりし頃の父と母が並ぶ写真がある。
愛情を注ぐということは、ときに傷つくことにつながるのかもしれない。
いつか、別れの時はやってくるし、離れ離れになる日は避けられない。
意図的に相手を傷つけることも往々にしてある。
それでも、愛情を注ぐという行為は、生きていることを実感する唯一の手段なのだと僕は思う。
思い出は、都合や解釈によっていくらでも変化する。人の感情がそうであるように。
ただ、写真に残された思い出や感情は、変わらずにその形を留めてくれる。
写真の中では、愛を記憶に閉じ込められる。
写真の中の僕たちは、瞳を閉じることも無いし、心が折れることもない。
時間は永遠に凍ったままだ。
家族が、バラバラになると、残される側は辛いかもしれない。
そのことを思うと、僕も辛い。
離れているからこそ、僕は家族の愛情を思い返すことがある。
山道を転び、擦りむいた僕の足の傷口を一心不乱に口で吸う父の姿や、兄弟で書いた手紙に涙する表情。
独りじゃないのだから、帰る日を待っていてほしい。
僕はあなたのそばにいる。
Ed Sheeranの『Photograph』を聴くと、そんな思いがこみ上げてくる。
オフィシャルビデオはご覧になっただろうか。込み上がってくるものを抑えられなくなるくらい、本当に素晴らしい内容だ。
Edの幼少期に撮られた大量のビデオや写真によって構成されているこのMVだが、映像のつなぎ方や演出が、もうセンスの塊でしかないのだ。
サビへとつながるBメロから数珠繋ぎのように、連なって繰り出されるEdの幼い姿と、サビに入る直前に挿入される、一瞬の空白を突いた幼少のEdの笑い声と、波音。演出が憎い。
幼い日々の貴重な瞬間を、小まめに映像に残したEdの両親に賛辞を送りたい。
幼いEdの写真やビデオが、記憶の雪崩のように重ねられるたびに、
どれだけ両親が彼のことを愛していたか、心をえぐられるほどに伝わってくる。
息子が初めて街頭で歌う姿など、ビデオに撮っていられるだろうか。
見ている側のほうが、不安で、恥ずかしく、心配になるはずなのに、我が息子が誇らしくてたまらないのだろう。両親の気位が伝わってくる。
そしてその深い愛情に、何度ビデオを見返しても、僕は心を打たれる。
最後に、大好きなQuoteを。
We keep this love in a photographWe made these memories for ourselvesWhere our eyes are never closingHearts are never brokenAnd time's forever frozen still
When I'm away, I will remember how you kissed meUnder the lamppost back on Sixth streetHearing you whisper through the phone,"Wait for me to come home"